~ 歌詞でよむ初音ミク 8 ~ それはつまり

つまり、ほんとうは何を悩んでいたんだっけ

「おれらのうた」タグ。独特の軽快なリズムとメロディーに、「君」に対して抱きつづけてきた煮えきらない劣等感や悩みをうたうミクさん。曲・詞ともに瀬名航さんです。

 

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どことなくとぼけた音楽を楽しんでいると、一見わかりやすい歌詞だと感じます。たしかに無駄のない日本語でストレートに心情を歌っているので、その意味では分かりやすいのですが、面白いことに内容はちょっと一筋縄ではいかない複雑さがあります。

 

それは、「僕」自身が1つの悩みを歌っているはずなのに、よく見ると実際は微妙に異なる3つの悩みを歌っているからではないでしょうか。

 

「君」は小さいころから、先生の言うことを守り、ボタン一つも外さない子。反対に、周囲の友達は「規則がどうこう」とか、「こんなのイヤだ」と事あるごとに反発していて、「僕」にだって反抗心がないわけじゃないけれど、そこはシニカルに「従ってしまえばいいのにね」「何も考えなきゃいいのにね」と思っていたようです。

 

ところがふと気づくと、どっちでもない役立たずになってしまったのは自分自身のほうでは・・・?1番で嘆かれているのは、枠をはみ出すくらいの「才能」の欠如です。

 

2番では、「大きくなって」からの「君」についてぼやいています。「僕」は興味がないことを強いられて、やっぱり「何も出来ない奴」「落ちこぼれ」と指をさされる始末。

 

ですが同じトーンのように見えて、どうも大きくなった君への嫉妬は、「努力家」で「頑張り屋さん」だということに変わっています。だからこそ「目を逸らしてしまう」という後ろめたさがある、と。ここでは、才能に溺れない真面目な「素質」が、自分にまるで無いことを嘆いています。

 

そして3つめの最後のサビ。ここでもやはり、そんなふうに才能あふれる君が幸せをつかめることに対して嫉妬しています。

 

が、ここで嘆かれているのはむしろ一歩引いた視点からで、そんな「君」の当然の成功にも嫉妬してしまう、自分の「度量」の狭さだったりします。

 

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よく見れば、歌われる「君」のすがたはだいたい同じです。食い違ってくるのは、そんな君のことを、「それはつまり」と彼がやや被害妄想的に解釈しはじめるときではないでしょうか。

 

実はこの作品は、このことを分かっているような気がします。それは音楽です。

 

悩んでいるのは紛れもない事実なのですが、他人との比較に拘泥するあまり、本当は何に悩んでいるかよく分からなくなっている「僕」に、軽やかでちょっと滑稽な音楽は俯瞰するかのごとく、別の視点を示しているようです。馬鹿にすることなく寄り添いながら。

 

歌詞のなかでは出口のみえない彼も、ユーモラスな音楽のような存在に救いを見いだせる日が来るといいな、と思うのでした。