~ 歌詞でよむ初音ミク 9 ~ Cry, cry

歌うのをためらってしまう女の子

タグはききいるミクうた。タイトルのとおり叙情的なバラードではありますが、湿り気の多い演出や歌詞ではなく、メロディや和音の際立った美しさのなかで、静かに悩みに向き合うミクさんに好感を持てます。曲・詞ともに、はるるさん。

 

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どこにもはっきりと歌われているわけではありませんが、どうやら引きこもってしまった女の子。自分のいない毛布と置き去りの夢を、つまりおそらくそこから抜けだした自分の姿を、彼女は明日にかすかに見ています。

 

かたちもなく漠然と空中に浮かんだまま加速する、と表現された広大な「世界」の下で、「ちっぽけな自分」に何の意味があるのだろう、と自問する彼女。

 

自分と世界の距離感をうまく測れない、思春期にありがちな悩みかもしれませんが、彼女がそれをひけらかさないところにとてもリアルさを感じます。「ちっぽけな自分は・・・」から、「必要だって言えるかな?」という自問に至るまでに、たっぷり3小節の沈黙。そんなためらいを見せられたら、こちらも心配せざるを得ません。

 

このためらいは、それを言ってしまうことが彼女自身を決定的に追いつめるから、ということにリンクしている気がします。

 

じっさい、彼女は小さな部屋にうずくまって泣き、誰にも見つからないことを望み、このままそっと消えたいと歌います。そっと消えるのであれば、自分は必要かなんて最初から悩まなくて済む。周りに対して目を閉じ、耳を塞いでいるうちに、気づけば一人ぼっちになっていく。自分には「これは全部望んだこと」と言い聞かせるのですが…。

 

周囲の世界との関係を断つことで、社会からそっと消えつつある彼女はしかし、それでもこの世界に残っているむき出しの自分に触れていきます。本当は、「最初から 最初から 声涸らして笑えたんだ」。それを誰にも気づかれないよう隠せば、ここからそっと消え去ることができるのだけれど、「でもいたい」。

 

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この曲が素敵だなと思ったのは、そこから彼女が「ありのままの」という自己顕示のアメリカンな方向には向かわず(それはそれで逞しいのですが)、むき出しの自分を許せさえすれば、それを隠すことも別に否定しないところです。日本らしいというか。

 

「うずくまって泣いた 誰にも見つからないわ」。それでも「大丈夫だよ 大丈夫だよ」と優しく歌うミクさん。誰にも見つからなくても、「本当の自分許せたなら 忘れない」、消えない。

 

それって、もう思春期らしからぬ着地点だったりすると思います。