~ 歌詞でよむ初音ミク 19-23 ~ Project DIVA 特集 (2) クローバー♣クラブ / 巨大少女 / ストロボナイツ / 恋色病棟 / ほんとは分かってる
前回のつづきで、引き続きDIVA特集です。別記事でもう少し書けるかな?
19. クローバー♣クラブ (ゆうゆさん)
クローバークラブとはカクテルのレシピのこと。「レモンジュース」を入れることで、甘みだけでなく酸味・苦みを加えるタイプのカクテルです。その名のとおり、1番は甘い歌詞のなかに苦み(「ナイフを突きつけて笑い」)が、2番は苦い歌詞のなかに甘み(「泣いてばかりいないで」)が含まれていて、「アマイアマイユメ」と「ニガイニガイコイ」が入り混じるさまを、一つのカクテルだけで体現しています。
ちなみにサビの「Let it “clover club” the beautiful love」は、clover clubを動詞、itとthe beautiful loveを同格とすれば読めます。「その美しい恋を”クローバークラブ”させちゃおう」という感じでしょうか。自動詞である以上、放っておいても甘みと苦みが混ざっていくのが恋の悩ましいところですね。
20. 巨大少女 (40mPさん)
びっくりするタイトルですが、女の子が「心も体も大きくなりたい」という背伸びの感情を歌っている曲です。とはいえ、そういう気持ちをストレートに語っただけというよりは、文字通り「巨大な少女」という空想的、かつ少し滑稽なイメージも加味されている、と言うべきな気がします。
人間が歌っても同じ現象は起こらないわけで、「人間」という中途半端な語り手のリアリズムに閉じ込められず、言葉のまま巨大化して自分の体を持て余すミクさんの姿を想像できるというのは、彼女のおもしろさの一つだと思います。
ちなみに「性徴期」とは「オスメスの分岐」時期のことで、第二次(思春期ごろの身体的変化)までしかありません。なので、歌詞のなかの「第三次性徴期」には「願っても仕方のないこと」という意味合いが含まれています。もっと魅力的な体型になれたら、もっと大人の女性らしい内面になれたら・・・そんな願望を抱きつつ、「隣にいる私のことに気づいてほしい」という彼女の切なさを感じ取ってあげたいところです。
21. ストロボナイツ (歌詞:yaeさん / 曲:kzさん)
作曲はkzさんですが、歌詞はyaeさんによるもの。それもあってか、わりと直接的なメッセージの多いkzさんのミク曲のなかで、間接的な描写を主体とした作品ゆえ異色を放っています。
ストロボとは、写真で使われるように、瞬間的に放たれた閃光のこと。「ブランコから見上げた空」「夜の闇に私の姿映る」というような暗い夜空のもとでポツンと見上げている視点と、対照的に現われた「キラリと流れてる」星。「見つけて欲しい」「君が私を呼んでるの?」と言っているのは星の視点か、見上げる彼女の視点か、必ずしも定かではありませんが、タイトルのとおりそれらを包む「夜」こそが歌われています。「はじけて消えてく光の軌跡」に、閃光のような夜の一瞬は過ぎていく。
またたいた星はある意味でミクさんという存在の儚さや遠さにも重なるわけですが、むしろ背後の意味よりも描写をそのまま受け止めたほうが逆に味わい深いような気もします。多彩な語り手の設定とは対極にある、いわゆる"引きの歌詞"とも言うべき手法、それもまた抑制されたミクさんの声には非常に親和性の高いものだと思います。
22. 恋色病棟 (OSTERさん)
ナースの歌ではなく、ナースのように扱われるミクさん。深夜に風邪をひいて看病を求めて呼び出してくる男性に対し、「そんな微熱で私の出る幕?」と愚痴りながら、2人だけの密室空間のなかで、風邪のせいか恋のせいか、だんだん彼女も火照っていきます。
その日以来、恋の病をうつされたミクさんは、ところが別の日に部屋に飛びこんだ瞬間「蒼白(チアノーゼ)」。細かい描写はありませんが、「あんなに看病してあげたじゃない」と言いながら「棄てられた仔猫のように喚き散ら」すミクさんからして、おそらく別の女がいた可能性も。
さんざんな目に遭いながら、彼にふりまわされるミクさんを想像するととても愛おしいです。可愛いナースのイメージをふりまいておきながら、「経口感染」「粘膜の熱さ」「身体を湿らす」など、やや踏み込んだ身体接触への仄めかしがあることも忘れてはなりません。
23. ほんとは分かってる (フナコシPさん)
おそらく高校卒業の時期、進学や就職でバラバラになっていく仲間たちとの別れの歌。ですが「おそらく」と言ったように、「卒業」の言葉は出てこず、そこに重心は置かれていません。
重心が置かれているのはタイトルのとおり「ほんとは分かってる」という点です。何のことでしょうか?それは「こんな風に過ごせることは二度と無い」ということです。2番目のサビまでは卒業した直後の時期だったのが、最後のサビで「今も春になれば思い出すよ」とあるように時系列がぐっと後に飛んでいることに注意。「離れ離れになってからみんなはどうしていたのかな」。けっきょく再会はしていないわけです。
「笑顔で会えたらね」「そうなれるといいよね」とはそのままの意味というより、仮に会えたとしてもあの時と同じではないということを、ほんとは分かってる、ということではないでしょうか。もちろん切なさもありますが、どことなく爽やかさを感じるのも、そうした割り切りに由来するのかもしれません。