~ 歌詞でよむ初音ミク 36-40 ~ 新作 Project DIVA X (1) ウミユリ海底譚 / ツギハギスタッカート / 愛の詩 / ラズベリー*モンスター / 脳内革命ガール

初音ミク -Project DIVA- X

今回は最新作「Project DIVA X」の特集です。もちろん有名な曲ばかり。まとめて取り上げるのは先日のDIVA特集の一環です。ryoさんの『罪の名前』についてはすでに別個で取り上げたので除外しました。

  

 

36. ウミユリ海底譚 (ナブナさん)

 ウミユリとは海底に咲く百合のようなヒトデ的生物。植物と思われて感情移入されにくいかもしれませんが動物です。海の底の岩などに張りついており、その意味で「揺らぎの中 空を眺める」と言っているような視点はちゃんと拾っておきたいところ。君は「遠のいた」「行ってしまう」「消え去ってしまう」のであって、置いていかれる「僕」との対比を感じます。だからこそ「海底譚」というわりに「空」のイメージ(むろん海のなかの空でしょうが――「空中散歩」「空の底」「一等星」「あの空に溺れていく」など)に固執しているのではないでしょうか。

 繰り返しになりますが、ウミユリとは植物のようにみえて動物であるというもの。面白いことにAメロBメロまでは植物的に冷静な過去形の叙述なのが、君がちらついた瞬間、「なんて」と言ってそれまでの語りの調子が裏返り、サビは動物的で感情むきだしの命令形の要求へ移っていく・・・という静と動の構成も、ウミユリの両義性に対応しているかのようです。

 海の底に沈む「僕」には、「死」への仄めかしがなくもないのですが (「僕を殺しちゃった 期待の言葉」「ハッピーエンドなんて」「最終列車」 etc.)、実際の死なのか別れのことなのかは断定できません。

 連作や背後の物語を考えるのも楽しみ方の一つだとは思いますが、そのまま "ウミユリが眺める海のなかの空" といった倒錯したイメージをもっと大切に読んであげるべきかもしれません。地上からすれば空(天)というのは死を思わせるのですが、「灰に塗れてく」海底にとっての空はむしろ生を思わせる、というような反転――「君は"ここ"に戻らないで」――があったりするのです。

 

37. ツギハギスタッカート (とあ さん)

 恋人である「君」とのあいだにできた溝や欠落を、絶えず「ツギハギ」によって覆い隠してきた「僕」。そんな「君との時間」は、チグハグでまとまりがありません。二人で作ってきたあれやこれやの関係性、それらは「重ねた無駄な時間」になってしまっており、大きさや形のバラバラな数珠のような群を成しているわけですが、どれもいまのところ辛うじて一本の「糸」によってつながっています。

 そんななかこの曲で歌われるのは、「そろそろ終わりにしよう」、その糸をちぎってしまおう、という心の動きです。まさに”動き”が問題であって、逡巡しつつ曲が進むにつれて、決断の思いがスタッカート的に強くなっていくさま、その時間の流れこそが主題になっているようです。

 「いいの?いいの?捨てちゃうよ?」と迷うことができるのは、まだ好きだという感情が少なからずあるからで、そんな足踏みに気づきすらしない相手を前にしたとき、彼は決意を固めていくのでした。それまで一度も出てこなかった「笑えるよね?」という別の要素が最後に出てくるのが、きっとその合図なのでしょう。

 ところでミクさん史上(おそらく)初の表現として話題になった「咳払い」のあとにつづく、これまた珍しい「鼻歌」の部分はどういう役割を占めるのでしょうか。そこだけを切りとれば楽しそうにふんふん歌っている気もしますが、歌詞の流れからすると、むしろ言葉にしたくない「結論=別れ」を匂わせながら、気丈に明るく振舞おうと強がっている――なんて想像してみると印象が変わるかもしれません。

 

38. 愛の詩 (ラマーズPさん)

 いわゆる「VOCALOIDイメージソング」のうち、初音ミクV3発売後にうまれた代表作の1つ。「目の前に散らばる情報に捕らわれて」、大切なものを見失ったマスター(作曲者=クリエイター)に向けられるミクさんの想いが歌われています。「見つめてるから 握りしめるから」、わたしはどこにもいかないからマスターは自分が本当に作りたいものを作ってほしい。そうやってわたしに「ぎこちない声震わせて」歌わせてくれたその曲は、「愛の詩と呼ぶ奇跡」のようなものなんだよ、というVOCALOIDとしてのミクさんの視点から歌われた作品です。

 初期から活躍されるラマーズPさんですが、彼のミクさんの真骨頂は「優しくて明るくてちょっとアホの子」というような語り手の設定だと思います。

 不思議な表現をつかい (「好きと言われたら 染まる世界だから 拒むように避けた」)、言葉足らずで (「飲み込まれたことさえ 知らずに駆け出した」)、高低差のある語彙レベル (「私が唯一の希望に変わるなら うーぱぱうぱぱー」) に、曖昧でふわふわした文法 (「この感情は確かな形には出来ずに 何故伝えられないの」) ・・・これらは決してマイナスではなく、語り手のキャラクターを織りなすものとして成立しています。少々の間違いや失敗もふくめて明るく優しく歩み沿ってくれるラマーズP的ミクさん像にはぴったりです。「うーぱぱうぱぱ」「うーぱうぱぱー」、なんと絶妙なアホっぽさでしょう(褒め言葉)。

 

39. ラズベリー*モンスター (詞:Gomさん&shitoさん / 曲:Gomさん)

 うってかわってパンクでロックで扇動的なミクさん。舌を出し中指立てて、ガムを吐き捨てる彼女を想像したときの、語り手としての振り幅が楽しい一曲。

 「目覚まし時計」のほうを起こしてしまうくらい、現実の周りの世界を追い越して突っ走る「僕」は、仮想にいる「赤い少女」に憧れているようです。

 そんな彼女への憧れというのは、恋愛というより、理想像としての憧れのようで、「近づきたいんだ赤い少女」というのもそのような意味で受け取れます。じっさい、「身体を残して僕と繋ぐ仮想ドライブ」により、「仮想(ドチラ)が現実(コチラ)です?わかんないよ!」というような状態にハマり、「君は僕だ 僕だけの君だ」と同一化していきます。

 どうしてそんな憧れをもつのかと言えば、どうやら「僕」は、「現実世界 ギャップに眩暈 冷や汗をかいて」生きているからで、それとは対照的に、この赤い少女とは、赤い果実をたくさんのトゲで守るラズベリーの木と同じく、「攻撃は最大の防御」がモットーの、まさにラズベリーモンスターだからです。「僕」が漏らす「早く助けてよ」という叫びは、ほかならぬ彼女の強さに向けられている気がします。

 というわけで、このなよなよした男の子が救いを求める赤い少女(ラズベリーモンスター)としてのミクさんを、この曲に投影してみるのもDIVA的な楽しみ方の一つかもしれません。

 

40. 脳内革命ガール (MARETUさん)

 タイトルのように「革命」というからには、まずはその対象、何らかの「抑圧」的な体制や機構らしきものが気になるわけですが、この曲では「騒ぎ立てる名無しさん」たちによる、「ニンゲンじゃないみたいだ、素顔隠して」と言われるような抑圧的な空間が指されています。

 そこは「空振りの理想論」「なけなしの理想論」が飛び交っており、「無駄が無い」、正しいけれどただただ哀しい社会。そんな彼らによって出来上がるのは「ありふれた唄」以上のものではない、と。

 これに対して、ミクさんが擁護するのは「歓談騒ぎに耳塞いで」得られるはずの「(彼らには感じとれないであろう)キミの音」。要するに「素直になりたいだけ」で、そこに「タカラモノ」があるはずなのですが、そんな「一粒の期待」も「泣き濡れて染みになって」回収されてしまい、システム内の「ありふれた唄」になっていく絶望感と苛立ち。結局「脳内」で終わってしまう革命です。

 この抑圧的な環境については、音楽業界やネット社会など様々に受け取れるでしょうが、いずれにせよ「いい加減、諦めました。さらば未来明日。」という突き放したようなMARETU節は、このテーマとうまく整合しているように思います。というのも閉塞感をまるごと聞き手に託し、「いやそんなこともないだろう」という拒絶反応を起こすことによって、実は彼女の感じた革命は脳内で終わらずに伝播していくからです。