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~ 歌詞でよむ初音ミク 41-45 ~ 新作 Project DIVA X (2) ___ 独りんぼエンヴィー / LOL -lots of laugh- / クノイチでも恋がしたい / バビロン / 恋愛裁判

特集&企画

f:id:comaa:20160411223330p:plain (by こまー)

日本の5都市でのライブツアーも無事終わり、これからは北米&台湾の全11都市を回る予定のミクEXPO (~6月) 。9月にはマジカルミライもありますね。ゲームにライブにTV出演、ミクさんのご活躍はいつでも嬉しいものです。ところで並行して、彼女は作品の言語のなかでも生きています。同じ曲でも映像とは別の生き方かもしれません。そんな観点からDIVA X特集のつづきを。

 


41. 独りんぼエンヴィー (koyoriさん)

 ここでのミクちゃんは知らん顔で悪戯できる子、嘘泣きで言い訳できる子。しかし実際は、「寂しいな遊びたいな」「私はさ 必要ないでしょ」という疎外と孤独を感じており、そのことが逆に「楽しそうなお祭りね」という帰属できる場所への憧れを生むようです。そんな彼女を招き入れようとする「あんよあんよこっちおいで」の声。しかし彼女は「嫌んよ嫌んよそっぽ向いて」と拒絶してしまいます。「私は悪い子 要らん子」。

 矛盾の構図は「夢見ては極彩色」と「覚めて見るドス黒い両手」という対比にも見られます。私にだけ聞こえる「楽しそうな歌声」「今夜今夜あの場所へ」という憧れはやっぱり消えません。「羨めば 楽しく踊る気ままな知らぬ子」への嫉妬(エンヴィー)・・・。

 探して追いかけるかくれんぼ(「みつけた」)に、逃げ隠れるおにごっこ(「つかまっちゃった」)の矛盾するコントラストがまたもや見られたあとで、改めて招き入れようとする「あんよあんよこっちおいで」の声。彼女は今度こそ「震える一歩 踏み出して」「独りにばいばい」していきます。そうそう、そのまま「こっちおいで」という誘いに、ミクちゃんは「良いの?良いの?」とためらいながら目を明けたのでした。――そのあとは描かれていません。分かることは「今日も明日もみんなと遊ぼう」とあるように、孤独ではなくなったということです。

 このように様々な「矛盾」のモチーフについて、架空の相手と遊ぼうとしているだけでなく、「こっちおいで」と迎え入れる側の視点にさえ成りかわる場面も見られることから、離人感の症状に始まってはっきりした解離性人格障害(多重人格)に移行していく瞬間――そして自分のなかの別の人格を受け入れていくプロセス――なんて思ったりもするのですが、そうした精神疾患ゆえに、火の幻想に誘われていく放火魔が歌っているようにも聞こえてきます。

 いろんな解釈があると思いますが、いずれにせよベースとなっているのはこの分裂的な視点であり、その視点が入れ替わっていく不安定な動きだと思います。分裂的と言ったのは、タイトルの「独りんぼ」が「独り+かくれんぼ」という自作自演的な造語だからです。この曲の有力な英訳の一つとして「Solitary Hide & Seek Envy」というのがありますが、まさにその矛盾した行為というポイントを捉えた見事な訳です。

 

42. LOL -lots of laugh- (詞: エンドケイプさん / 曲:Kenさん)

 タイトルのLOLとはlots of laughの略で「爆笑」のこと。いまは小文字のlolのほうが多い気がしますが、文尾につけて「(笑)」や「w」と似たような機能を果たします。全く笑えないことに対して、ある種のアイロニーにも使われるのも日本と同じですね。

 午前2時半、素足で夜道へ飛びだしたミクさん。ピンク色をしたウサギに出会うと「マイゴニナリマシタカ?」と言われ、「手をつないだらみるみるうちに小さく!?」。

 そこで出会った世界に魅了され、退屈な”モノグラムの世界に別れを告げる時がきた” (モノグラムとは例えばニューヨーク・ヤンキースのNとYを重ねた文字ロゴのようなものなので、たぶん本当はモノクロームmonochrome=「単調」のことだと思うのですが)、と宣言する彼女。

 そこは女子にとっての夢みたいな場所で、「降り出した雨さえも」、スイートなキャンディになり、タルトのソファーに座って月をながめていられる甘い世界。「夢が夢じゃなくなるデジタルな世の中に」疲れ果てた彼女は、「もう決めた!ここで暮らす!」と決心します。「ワクワク止まらない」彼女は、「過去に向かってさよなら」と言い残し、「チョコレイトで出来たバスタブ」のなか、「生クリィムのシャボンにまみれて」眠るのでした。

 彼女のLOLが、夢の世界に入ったという悦びの高笑いでもあるのは事実だと思いますが、冒頭でも触れたとおりそこには現実から逃避した自分へのアイロニーも見え隠れします。

 

43. クノイチでも恋がしたい (みきとPさん)

 ストーリーテリングに傾斜した歌詞。四コマ漫画のようなはっきりした起承転結です。

【起】クノイチ(女性の忍者)になるよう育てられた15歳の少女。厳しいしつけのなかで、もちろん恋愛も禁止。「クノイチは、女を捨てなさい」。しかしなんせ思春期まっ盛りなので、「五月蠅いよ」「そんなの嫌だ自由勝手にさせろ」。そして縁日の夜に現われた美少年に恋をしてしまいます。

【承】しかし彼女は色仕掛けすらも半人前で、とても彼を誘惑できるような度胸も技量もありません。そうこうしているうちに団子屋の娘も、かの美少年に思いを寄せていることが発覚。「キサマもライバルなのか」。

【転】ところがある日届いた密書に、衝撃をうける彼女。次の標的はまさしくあの美少年。「生まれて初めてのこんな選択」。悩んで悩んだ末に「とおさんかあさん、あたいやっと やるべきことがみつかった」。恋愛か仕事か、どっちを選択するんでしょう?

【結】「時は満ちた」。彼女が選んだのは、とんちのような答えです。つまり忍者なら忍者らしく恋愛も隠密に遂行する、ということなのでした。「クノイチなら恋ヲ果タセ」。

 語り手としては一人だけですが、歌うのはミクさんとリンちゃん。それにより、2人はどちらかというと語り手の少女になりきって茶化している感じです。内容だけなら「小話」的なエピソードに収まりそうなところを、良い意味でどうでもいいことのようにあっさり味に仕上げてくれるのは、そういう仕掛けも影響しているかもしれません。

 

44. バビロン (とーま さん)

 それは「空中繁華街の雑踏」、宗教とドラッグとギャンブルが入り乱れる街。人間や動物の喧騒のなか「嘘まみれ 騙し合い」を続ける「ハリボテギャングスタ」たち。入り組んだ住宅街に造船所、荒廃した市場。クレオール的混成言語が話され、売春を仄めかす少女に中指を立てられることさえ「凡庸な歓迎」。落ちぶれたかつてのムービースターがプライドを捨てて路地裏で踊り、熱帯夜のなか雑居ビルで死を想うロックスター。どこか戦争の影もあるこの真っ暗な街に別れを告げようとしても、出口のない「ほら じゃあ また明日」・・・。

 一時期のVOCALOID楽曲に顕著にみられた、「名詞を羅列する(体言止め)」タイプの歌詞は、文末が似通ってしまう日本語の構造的な問題(語のあとに付いてくる助詞や助動詞によって脚韻が制約される等)から簡単に解放するというメリットを持つ一方、「文」となることで可能になる "言語的表現の複雑さ" の側面がごっそり抜け落ちて、羅列ワンパターンになってしまうというデメリットも持っています。

 ただし「羅列」であることがさほどマイナスにならないジャンルもあって、その一つが「描写」ではないでしょうか。むそんそこでも「語り手」の工夫はあるわけですが、描写においてはまず対象についての情報量がないと話になりません。ですから音合わせに便利なだけで情報量の少ない、抽象的な熟語はあまり使えなくなるわけです。

 その意味でこの曲は、「羅列」という形式を活かしている気がします。なぜならそれは彼女の知る“バビロン”という都市こそが主人公であって、あくまでその描写に徹しているからであり、しかもそれがカラカラでバラバラの断片が堆積して成立しているような都市だからです。

 

45. 恋愛裁判 (40mPさん)

 裁判官のとってもキュートなコスチュームが素敵なミクさんですが、語り手は男性側の視点。ミクさんの声で男の反省を聞きながら、無言で怒ってみせる法衣のミクさんの姿を想像するという不思議な楽しみ方になります。

 どうやら浮気をしたらしい「僕」は、アリバイ工作や小手先の手品を並べたものの、みごとに失敗。美辞麗句をならべて「情状酌量」を求めますが、2人のあいだの最終弁論で涙をみせたミクさんが下すのは「有罪」判決です。

 慌てふためいた彼は反論や弁解をやめ、「ずっと君の監獄に閉じ込めてもいいから」と、せめてフラれることだけは避けようとします。ここまでならけっこう同情するのですが、この曲が面白いのは、そうこうしているうちに「僕」のクズい発言がずるずるとまた顔を出してきて、笑っちゃうけど彼への同情については失せていくところです。「君も僕も同じだけの悲しみ」という論点ずらし、「愛した人 愛された人 お互いを裁き合う運命だから」という唐突な一般論、「死ぬまで君だけを守るよ」という薄っぺらい決意・・・。

 ところが、あれやこれやでさんざん取り繕って許してもらったあと、「偽りの涙の後で 密かに微笑んだ小悪魔」たるミクさんもまた、じつは別の男と浮気をしていたことが判明するのでした。「そう、君も『有罪』」。

 わたしたちが「僕」にあまりに同情しすぎる構成だと、ラストにきて今度は“ミクさんのほうがヒドかった!”というどんでん返しだけで終わってしまいます。しかしどちらが悪いという風には進みません。この曲で際立つのは、裁かれる人はもちろんのこと、裁く人にも問題のあるグダグダな裁判ごっこそのものだからです。そこで下される有罪判決には何の正当性と執行力があるのでしょう。

 それはそうとして、あまり大きな声じゃ言えないけど、可愛い顔をして「クズなミクさん」というのも悪くない響きですよね。「実際の性格」なんて気にしなくていいのが彼女のアドバンテージですから。