Tokyoという片隅 ~ ミク好きによるモーニング娘。 の歌詞 ~

たった一言で、全体の歌詞がひっくり返る

別ジャンルから番外編。モーニング娘。さんの曲です。

わたしは特別にモーニング娘。さんのファンというわけではありません。

(このブログは初音ミクさんがテーマです!)

 

なので、詳しい前提知識やメンバーの関係についてはあまり分からない人間です。

でも好きです。

 

ミクさんとの関係でいえば、『One・Two・Three』などのMMD動画をはじめ、EDMとの親和性、アイドルのふりして歪な曲も許容する点など共感しやすいのもあるかもしれません。

また個人的にラジオが好きなこともあり、そこに出ている彼女たちが流す曲で好きだなぁと思ったものも多いです (EDM系統以外だと『リゾナントブルー』『Fantasyが始まる』『シャボン玉』『女と男のララバイゲーム』など)。

 

そんな彼女たちの新作『Tokyoという片隅』がとても良い曲だと思ったので、少し寄り道してこの曲の歌詞について書いてみようかな・・・と思いました。わたしが感じたのは「たった一言で、歌詞の印象が変わる曲」、ということでした。

  

ここでは曲の歌詞を、グループについてのメタ解釈とすることはしません (できません)。いつもどおり、その作品単体で読んでみて愛でるだけです。

 

 上京した少女のもがき苦しみ

曲についてはDubstepやメタルのテイストがあるゴシックロックといったところでしょうか。マイナーコードのサビの歌詞がメロディの裏打ちで入ってくる、なんとも変わってて危うげな良い感じです。

 

 

愛やウソにまみれたこの大都会で、「私の未来」はいったいどこに向かっているの?――という上京した少女が語り手。

 

「裏切られた」り「容赦ない現実」に襲われたり、年端もいかない少女が背負うには、あまりにも大きすぎるこの街の欲望。

 

とはいえ「この欲望だらけの真ん中」に飛び込むことを望んだのは、ほかならぬ彼女自身でした。だからこの街のせいにもできず、逃げ出すわけにもいきません。

 

まだ無力。だけれども撤退する意志のない少女は、丸腰のままで「正直」に「ガムシャラ」に生きることしかできないのです。

 

「何も怖くないし 全然さみしくない」と強がってはいます。

ですがときどき本心が顔をのぞかせるのでした。「ただ少しぎゅっとされたいだけ」・・・と。

 

一見したところ、この曲に救いはありません。

「ぎゅっとされたい」というささやかな承認への願望をこぼすだけで、

最後まで未来の行方は見えず、上京して苦しみもがく少女のプライドと切なさを、繊細に切りとっています。

 

 隠されたもう一つの視点

ところがそんななか、全体的な歌詞の意味を、

たった一フレーズで転覆させる言葉が隠されている気がします。

 

それがタイトルにもある「Tokyoという片隅」。

 

同格表現の「という」によって、

片隅にあるのは私ではなく「東京」ということになります。

 

何にとっての片隅でしょうか?

それは言わずもがな、サビにあるように「世界」にとっての片隅です。

 

他にも『東京の片隅』というモチーフの曲はいろいろありますが、 

多くの作品は、2項の構造 (「東京」 & 「その片隅の私」) なのに対し、

この曲では、"その東京もまた「世界」の片隅・・・" という3重の入れ子構造になっているわけです。

 

「私が片隅でもがいている東京、それもまた世界のなかの片隅でしかない」。

 

少女にとっての救いとは?

自分を、そしてこの東京を、まるごとちっぽけな存在へと相対化してしまう

そんな "世界" のスケールに向けて、グーッと俯瞰していく視点。

 

冷徹な第三者の視点(いわゆる神の視点)に移ったとも受け取れますが、

彼女自身がそれを口にしていると考えたら、どうなるでしょうか?

 

よくあるパターンは、

東京への冷めきった諦めのような心理かと思います。すれてしまった少女の大人びた部分。

でも、「Tokyo」という英字での不自然な表記は何なんでしょう?

冷めた目線というなら、「ヤツ」とか「にゃ」などの熱のこもった口調は?

 

わたしには、他人事のようなクールな「諦め」どころか、

強い意志、むしろ世界の側に身を置こうとする「壮大な野心」に映りました。

 

単に東京を相対化するためなら、「地元」とか「家族」とかでもいいわけです。

そうではなくあえて "世界" から東京を見おろそうとするから、わざわざ「Tokyo」と記したり、どこか怒りのような抵抗のような熱が入った口調になってしまう。

 

そしてそうした野心によって、自分がもがき苦しむ東京に対し、その先にある未来――つまり救いの可能性――の余地を保っているのではないでしょうか。

 

どこにもはっきり口に出しているわけではありません。

上でも述べたとおり、この曲の基調となっているのは、大都会の救いのない閉塞感と、少女のわずかばかりの承認欲求だと思います。しかしそうやって「東京の片隅」を歌ったはずの曲を、わざわざ「Tokyoという片隅」と表現するとき、そこにはまったく逆といっていいほどの意志やスタンスの違いが込められているようにみえます。

    

この一つのフレーズがあるだけで、全体的に閉塞していく歌詞のなかに、少女にとっての「救い」の風窓が見つかる気がするのです。

 

まとめ

上京の普遍的なテーマをしっかりとなぞりつつ、

たった一つの表現のうちに、全体の流れをひっくり返すような仕掛けを潜ませる。

 

だとすれば、なかなかアクロバティックな構造ですが、

「助けてあげたいかわいそうな女の子」というだけの一筋縄ではいかないあたりが、

モーニング娘。さんの楽曲の、良い意味でおさまりのわるい魅力だと思いました。