~ 歌詞でよむ初音ミク 51 ~ 夢に住むyakamoz

死の間歇を挟んで、永遠に反復される生

タグは「プログロイド」。圧倒的な音の豊かさに、神話的な世界を添えるミクさん。人間ではないことが彼女の声の強みの一つですが、それはアンドロイドの場合だけでなく、こうした神秘的なことばを歌うときにも発揮されるように思います。曲・詞ともにk_zero+Aさんです。

 

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「yakamoz」とはトルコ語で「水面に映る月」を一つの単語で示すもの。似た現象として、日本語では湖に映った「逆さ富士」という言葉がありますよね。

 

「夢の中から宇宙(そら)を見た」に始まり、「このまま僕らは空夢(そらゆめ)の中に」で終わる歌詞全体は、宇宙と夢のどちらが虚(ソラ)なのか分からなくなる不思議な円環をなしています。

 

いずれにせよそのように歌う「僕」の視点は「夢の中」。

 

この「夢の中」とは、「音の無い夢の世界で、形だけの音が躍る」といった超-現実な空間です。そして、そこから見られた私たちの世界は、明かりが灯されては消えるように、「永久に ただ咎 (とが) を喚ぶ」ことを繰り返している、と。

 

この明かりの明滅とは、歌詞の途中、何度も仄めかされていますが、生と死のことではないでしょうか。つまり死の中断を挟みながら、輪廻のごとく反復される生。

 

すると、それを見降ろしている「夢の中」というのは、どこに位置するのでしょう?

 

わたし自身は特定の宗教や信仰をもっていませんが、ここでは

その個体たちの死と生の境目、いわば空白地帯を描いているように思われました。

 

「個体の死はより大きな生への回帰・合流であり、そこから再び個体へと生まれなおしていく」といった世界観は、古代から洋の東西を問わず見られるものです。それを宗教的に、あるいは哲学的に何と呼ぶかはさておき、ここでは便宜上「宇宙全体の生」という風に呼ぶとしましょう。

 

それを「迎え」るとき、「扉を開ける」とき、同時に「さよなら」の声があがり、そして「何処かで産声を歌」うのが聞こえる・・・。個体が死を迎えるとき、散るようにして「宇宙全体の生」に還っていくさまに重ねてみると、なんとなくイメージできます。

 

死ぬことによって初めて合流することのできる「宇宙全体の生」。

そしてそこから再び別の個体が生まれていく。

 

「夢の世界」の視点は、現実のこの世界を「虚 (そら)」と呼んでいます。

しかし生きているわたしたちには、そちらのほうが空夢 (そらゆめ) と映るのです。

 

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これが、冒頭でふれた「夢の中から宇宙(そら)を見た」に始まり、「このまま僕らは空夢(そらゆめ)の中に」で終わるという反転構造の意味ではないでしょうか。

 

そうした世界観は奇しくも、それ自体としてはこの世に姿を見せず、反射によって、痕跡によって、己を現わすことしかない「yakamoz」のあり方と重なる気がします。

 

そんなふうにこの歌詞を読んでみると、それを歌うミクさんは、

この世界を生きながらこの世ならぬ者として、まるで天の使い、伝令役のようにも思えてくるのでした。

 

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