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泡沫サタデーナイト! vs 翼はいらない ~ モーニング娘。'16 と AKB48の歌詞 ~

偶然にも近しいテーマをもった2曲

以前『Tokyoという片隅』について書いたのですが、

先日、モーニング娘。'16 さんと AKB48 さんがたまたま同じ日のミュージックステーションに出ていました。

 

そこで披露された2曲は、偶然だとは思いますが、歌詞に関して意外と類似したテーマを扱っており、そのぶん両グループの違いも際立っていると感じました。

 

その対比を整理しておくのは、このブログにも役立つと思います。

なので、そのことについて書いてみようと思います。

 

 ちなみに「vs」というのは優劣ではなく、歌詞の構造的な対比のことです。 

 

さて、『翼はいらない』と『泡沫サタデーナイト!』の対比といえば、

リアリスト (現実主義) vs ヘドニスト (快楽主義) の構図が分かりやすいかもしれません。

 

しかしここで取り上げるのはちょっと別の角度からです。 

 

共通項として挙げたいのは、語り手が抱える

「目的地が分からない」という方位感覚的なテーマ。

そして、その描き方が対照的だと思われるのです。

 

 

 『翼はいらない』 by AKB48

 

目的地が分からなくても歩いていく

「今 僕が目指す場所が思いつかない」

そのまま歌詞に出てくるのですが、まさにそれが「僕」の悩みです。

 

もしも翼をもっていたら、

「どこへでも思い通り」飛んでいけるし、「悩む事もない」。

それは分かっているものの、「それでも何故だろう 歩こうとしている」。

 

「僕」いわく、道の途上には嫌なことや悲しみもあるけれど、

歩いていればいつか幸せに近づくだろう、と。

 

サビでも繰り返されるとおり、

「翼はいらない」とは地に足をつけて進んでいくという意味です。

かなり直接的な、意味上の比喩をもちいています。

 

達観した別の誰かの視点

しかしながら、語り手の「僕」は、悩んでいるように見えて、

いきなり悟ったように一般論を歌って解決してしまいます。

 

自分で悩みを吐露して、すぐさま自分で答えを出すことができる。

「目指す場所が思いつかない」と言いつつも、

サビでは朗々と「夢があればいい」「夢見て歩こう」と歌ってみせる。

 

どうして「夢」は見えているのでしょう?

どうして「幸せ」に近づけると分かるのでしょう? 

 

どこかマッチポンプ的な展開をもっているのですが、

それはたぶん、悩んでいる語り手とは別の、経験豊富で大人な、

作品の外部にいる超脱した誰かの視点が、背後にあるからではないでしょうか。 

 

翼はいらないと言いながら、すでに鳥のように俯瞰している人間。

そんな達観した誰かの視点が見え隠れします。

 

ですから「僕」の語りのトーンは終始、乱れることがありません。

リアリストであり、冷静であり、淡々としつづけていられるのです。

 

 

『泡沫サタデーナイト!』 by モーニング娘。 '16

 

彼女はサタデーナイトにどこへ行くのだろう?

こちらもまた、「目的地がわからない」という状況を歌っています。

ですが、そういう歌だと思わない人が多いかもしれません。

 

この曲は、一見すると、

ブルーライトに埋没した日常の機械性、退屈さや冷淡さをひっくり返して、

週末に泡となって踊り狂うのを待ちわびる心情を歌っています。

 

しかし、サタデーナイトに彼女はどこに行くのでしょうか?

それは語られていません。

 

目的地が分からないこと――

ここに間接的なメッセージの機能があることは疑う余地がないと思います。

まさにこの曲は、"行く先も考えず Do it dance すること" を歌っているのですから。

いわば構造そのものが比喩となっています。

 

語り手の視点は達観しない

『翼はいらない』とはちがって、こちらでは

語り手の「私」が、達観した視点へと脱出することはありません。

 

見た目で勝手に人格を規定されること、スマホで薄く軽いつながりに依存すること、

そうした日常のモヤモヤを解決するのは、ほかならぬ彼女自身です。

語り手は、あくまでサタデーナイトに踊りはじける少女なわけです。

 

ですからその先の未来は歌われません。

当然のこと、彼女自身にも分からないからです。

 

例外的に置かれたセリフの部分は、メタ視点に脱出しているように見えますが、

このパートは、おもしろいことに内容的に何の解決も用意していません。

解決どころか、むしろ茶化しているのです。

 

それゆえ「私」の語りのトーンは、実は不安定なものとなっています。

他人が思うよりも自分は凄いと言ってみたり、反対に弱いと言ってみたり、

そして異常なエクスクラメーションマークの多用にも表れています。

 

「後回しで」、「はぐらかして」、

快楽への欲望を自分では止められない、ヘドニスト的な選択をする彼女。

 

「どこに行くのか」を歌い忘れてしまうのは、

抑圧から爆発的に解放されたためか、楽しみすぎて歌い忘れてしまったのか、

アホの子だからか、そもそも目的地なんて興味がないからでしょうか。

そんな想像を置き換えるごとに、歌詞の印象は変わります。

 

 

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『翼はいらない』の「僕」

かくしてこの2曲は、ともに「目的地がわからない」というテーマに照らしてみると、

不思議な近接性が浮かび上がってくる気がします。

 

そして、両者はおそらく自覚のない、奇妙な対比を織りなしています。

  

『翼はいらない』(AKB48) における語り手の「僕」は、

目的地が分からないと歌いながら、進む方向も移動手段も分かっています。

 

こうした傾向は、48グループさんのフロント楽曲には非常に多い気がします。

つまり悩んでいる語り手とは別の誰かがいつも見え隠れする構造です。

そうして悩んでいたはずの語り手は、いつのまにかメッセージを披露できる側の人間となります。「やっと分かったんだ」「ようやく気づいた」といった構造の、J-POP的な語り手と言えるかもしれません。

 

『泡沫サタデーナイト!』の「私」

他方、『泡沫サタデーナイト!』における語り手の「私」は、

むしろ「目的地が分からない」とは歌っていないのに、本当に目的地を見失ったかのように、後先を考えずひたすら踊ろうとしています。

 

作品内部の世界にとどまることは、モーニング娘。さんの特徴であるような気がします。

 

語り手が不安定な人間であっても構わない。間違っていたりイタい子だったり錯綜していたり、要するにヘンテコで面倒な奴だったりすることも多いのは、あえて作品内部にとどまっているからではないでしょうか。

強いて言えば、歌謡曲的な語り手といった感じです。

 

まとめ

以上のような意味で、作詞者にとって「マリオネット (操り人形)」的なAKBさんに対し、

モーニング娘。さんは「憑依」あるいは「(VR的) 拡張身体」といった印象を受けます。

 

優劣を語ることはできませんが、わたしの好みは後者である気がしています。

このブログも、似たような嗜好でミクさんの曲を扱っているからです。

 

もちろんマリオネット的な歌詞にも魅力はあります。

ですが、そこには「操り人形であること」の "残酷さ" があって、悲劇か喜劇かはさておき、これを隠蔽してしまうと魅力は出しにくい気がします。ミクさんの楽曲にはよく見られる大事なテーマなのですが、生身のアイドルにその残酷さを歌わせるのは、人格否定のようで難しいのかもしれません。

 

最後に余談ですが、

『泡沫サタデーナイト!』の英訳は "Ephemeral Saturday Night"。エフェメラルとは、短命な昆虫で知られる「蜻蛉 (かげろう)」に由来しています。

 

訳したのはおそらく別の人とはいえ、

「私」が語ろうとしない未来には、「死」が垣間見えたりして

この曲に漂う、そこはかとない切なさを思わせるのでした。