~ 歌詞でよむ初音ミク 53 ~ 福寿草

死別と幸福の交わるところ

「お洒落なミクうた」タグ。ミクsweetを使っているのでしょうか。甘い声でありながら冷めきったミクさんの心情も見えるビタースイートな曲です。曲は ぐにょさん、詞は10兆億万円さん。

 

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「何もない部屋で一人 静かな音が突き刺さる」。呼びかける相手として「あなた」が出てくるので、彼女の孤独が「あなた」の不在によるもの、というのは想像できます。

 

そんな彼女が繰り返すのは、時間は巻き戻せないということ。何かの出来事があって、遡ることのできない時間が過ぎてしまったのか、「あなた」は不在のまま。

 

そこで出てくるのが、「いつも側にいて欲しくて 胸に咲いた福寿草」です。タイトルにもある福寿草。でもどうして他でもない「福寿草」?

 

フクジュソウは、学名が「アドニス」。ギリシャ神話で、女神アフロディテに愛された人間(男の子)の名ですが、彼は狩りの途中、事故で亡くなってしまいます。そこからアドニス、和名フクジュソウは、女神アフロディテの悲しみのイメージを負っていて、じっさい西洋での花言葉は「悲しき思い出」とされているわけですが、つまりその悲しみには「死別」が含意されています。

 

死別。語り手は一言も「死」について言及してはいませんが、だからこそ触れがたい重みがあるような・・・もしかして「あなた」もそうだったのでしょうか。

 

そんなふうに感じるのは、福寿草のもう一つの花言葉もまた、この歌詞の展開と重なっている気がするからです。フクジュソウは、日本では全く逆に、旧正月から花を咲かせる性質もあって、これからの幸福を予感させる花でもあるのです。

まさにその名のとおり「福寿草」。

 

何もない部屋で一人佇んでいた彼女にも変化が起こります。「泥だらけの服」を着替え、「臆病な心を開いて」いく彼女のまえで、寂しげな街に甘い魔法がかかり、淡い不安がゆっくり溶けていく…。

 

この結節点にあるのが福寿草であり、死別の悲しみと来たるべき幸福が交差するその花に、彼女の心の動きが重なっているように思います。

 

幸福。最後に出てくる「幸せのひと欠片 もう恐れないよ」「鳴り響く祝福を 私はいつ気づけただろう」とは何のことでしょうか。「明日は一人きりじゃないから」・・・。それはすでに始まっているのかもしれません。