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~ 歌詞でよむ初音ミク 66 ~ 夏だ!海だ!赤潮だ!!~私の夏を返して~

思いどおりにいかない舞台装置

正統派ポップス調の「迷曲リンク」タグ。明るい太陽を浴びたミクさんと爽やかなギターサウンド・・・に似つかわしくない混沌としたシーンが最高に笑えます。曲・詞ともに白の無地Pさんです。

 

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「太陽燃える恋の季節」のこと。

ラジオからは愛の詩が聞こえてくるなかで、

潮風が吹きぬける海沿いの国道を2人でドライブしていると、

君のとなりで、私の恋も走りはじめるのでした。

 

やがて「閑散としたビーチ」にたどり着いた2人。

寄り添いながら、寄せては返す浜辺の渚にまでやってくると、

 

海の色は「なんだか赤褐色」。

 

――赤潮だ!

 

これじゃ「恋愛フラグはバキバキ」に折られ、「100年の恋も醒めてしまう」。

「私の夏を返して!お願い!」と胸のなかで叫ぶ彼女・・・。

 

しかし自然界の出来事をどうすることもできず、

その淡い想いは「涙枯れた赤潮」に非情にも飲みこまれてしまいます。

 

「死んだ魚が浮かぶ水面」を前にして、「死んだ魚の目をした君」。

地獄のような光景に、この恋が「するり逃げて行きそう」な気がした「私」は、

怖くなってあわてて、「『人体に害はないよ』と 君の腕を掴んで」、一緒に海に飛び込んだのです。

 

ところが「君」は、海中から「なかなか浮かんでこない」のでした。

 

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この悲しい事件の背後にあるのは、

自然というものの徹底的なKYっぷり、空気の読めなさです。

 

ラブソングにまさか赤潮なんて、と初めはクレイジーに思うかもしれませんが、

冷静に考えてみると、自然がたかが人間の文脈を踏まえないのは、当たり前のことです。

海のほうからすれば、“こんな赤潮が発生したときに、勝手にラブラブなムードだと思いこんでやって来たほうが悪い”とも言えるのです。

 

わたしたちは、

“感情を表現するために、自然を利用する”という手をよく使います。

泣きたいときに「雨」、困難なときの「嵐」、青春は抜けるように晴れた「青空」etc。

 

しかし自然には自然の事情があるわけです。

そうしたいわば舞台装置が、登場人物に反乱を起こしたら・・・。

 

この曲では、舞台装置のせいで、逆に物語のほうが歪んでいきます。

 

というのも赤潮を前にして、“ムードは壊れました” “恋愛は失敗しました”的な軽いオチで終わってもよかったはずです。小話のような失敗談として。

ですが彼女は、彼の腕を掴んで赤潮のなかに沈めるという奇行に走ったのでした。

 

このムチャクチャな展開は、舞台装置のほうに登場人物が影響されていく、

つまり彼女が、作為的な物語に従わない自然のカオティックな力に触発されてしまった、という逆転現象なのかもしれません。

 

そんなふうにこの曲を聴いてみると、作詞術へのシニカルな目線も見えて、単なるネタ曲にはとどまらない面白さも感じられるのではないでしょうか。