~ 歌詞でよむ初音ミク 68 ~ 浴情

ソープランドのあわい詩情

「お洒落なミクうた」タグ。まったりした音楽が、渋いベースを中心に、色んな音を交えながら進む一曲です。ささやくような甘い声のミクさんは、美しい男性のコーラスと境目なく混じりあって、見事なグルーヴを作り出しています。曲は ねこむらさん、詞は いちはるさん。

 

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402号室に「お出かけ」する「あたし」。

まるで「お届け」物のようにやってきて、

早々に始まるシャワーの音。下準備。

 

かつて公に売春が認められていた「赤線 (地帯) の外」、

要するに違法だった「青線の中」でのような色々曖昧な行為・・・なんてのは考えすぎかもしれませんが、まぁ自由恋愛?ということで、そういう行為に及んでは、

お風呂やシーツと絡まり合いながら「遊泳」する彼女。

 

「聞きたいこと」や「言いたいこと」をぐっと抑えて誤魔化しながら

あたしの「髪を滑る水」が、「泡」の姫を作り出し、

あなたの「肌を滑る指」が、その場かぎりの「愛」を生んでいく。

 

ぬるぬるとした潤滑油のなか一体化して自分の存在を失って

「あたしこのまま溶けて 消えちゃって」、

そうして「あなたの答え」を受け止めるのです。

 

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DIVA特集の『指切り』の記事で触れた”遊女”とは逆に、

いわゆる”湯女 (ゆな)”、つまり今で言うソープランドの女性のようなミクさんの詩情、

まさに「浴情」とでもいうようなものに、わたしは想像を馳せました。

 

ふわふわと癒される優しい音楽やミクさんの声は、

そんな予想外な歌詞を、予想外に豊かな情緒へと昇華させているとも言えるし、

逆にカモフラージュしてそのギャップを楽しんでいるとも言えそうです。

 

ですが、いずれにしてもこの心地よさのなかには、

そこはかとない淋しさがあるような気がするのです。

 

大げさな悲劇ではなく、淡く薄い感情だからこそ、

その言葉から滲み出す寂寞、うら淋しさというのもあるのかもしれません。

 

心地良いから淋しい――というのは独特の詩情であって、

まるで歌詞の情景も、音楽も、その感覚を捉えようとしているかのようです。

 

他人の肉体に溶けて消えてしまうと言うような泡のなかで、

それなのに「許さなくっていいよ」という言葉が、

「あたし」の存在のことを指しているのだとしたら、

 

心地よさの最中に、ドライな線引きがみえて、

そういうところに「浴情」の切なさがあるのかな、、、なんて考えてみるのでした。