~ 歌詞でよむ初音ミク 68 ~ 浴情
ソープランドのあわい詩情
「お洒落なミクうた」タグ。まったりした音楽が、渋いベースを中心に、色んな音を交えながら進む一曲です。ささやくような甘い声のミクさんは、美しい男性のコーラスと境目なく混じりあって、見事なグルーヴを作り出しています。曲は ねこむらさん、詞は いちはるさん。
**********
402号室に「お出かけ」する「あたし」。
まるで「お届け」物のようにやってきて、
早々に始まるシャワーの音。下準備。
かつて公に売春が認められていた「赤線 (地帯) の外」、
要するに違法だった「青線の中」でのような色々曖昧な行為・・・なんてのは考えすぎかもしれませんが、まぁ自由恋愛?ということで、そういう行為に及んでは、
お風呂やシーツと絡まり合いながら「遊泳」する彼女。
「聞きたいこと」や「言いたいこと」をぐっと抑えて誤魔化しながら
あたしの「髪を滑る水」が、「泡」の姫を作り出し、
あなたの「肌を滑る指」が、その場かぎりの「愛」を生んでいく。
ぬるぬるとした潤滑油のなか一体化して自分の存在を失って
「あたしこのまま溶けて 消えちゃって」、
そうして「あなたの答え」を受け止めるのです。
**********
DIVA特集の『指切り』の記事で触れた”遊女”とは逆に、
いわゆる”湯女 (ゆな)”、つまり今で言うソープランドの女性のようなミクさんの詩情、
まさに「浴情」とでもいうようなものに、わたしは想像を馳せました。
ふわふわと癒される優しい音楽やミクさんの声は、
そんな予想外な歌詞を、予想外に豊かな情緒へと昇華させているとも言えるし、
逆にカモフラージュしてそのギャップを楽しんでいるとも言えそうです。
ですが、いずれにしてもこの心地よさのなかには、
そこはかとない淋しさがあるような気がするのです。
大げさな悲劇ではなく、淡く薄い感情だからこそ、
その言葉から滲み出す寂寞、うら淋しさというのもあるのかもしれません。
心地良いから淋しい――というのは独特の詩情であって、
まるで歌詞の情景も、音楽も、その感覚を捉えようとしているかのようです。
他人の肉体に溶けて消えてしまうと言うような泡のなかで、
それなのに「許さなくっていいよ」という言葉が、
「あたし」の存在のことを指しているのだとしたら、
心地よさの最中に、ドライな線引きがみえて、
そういうところに「浴情」の切なさがあるのかな、、、なんて考えてみるのでした。