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~ 歌詞でよむ初音ミク 70 ~ 人 is 筒

人間社会には属していない

「ボカロメタル」タグ。重厚なメタルながらポップさがあり、歪んだギターと重く畳みかけるドラムとは対照的に、飄々としたミクさんの歌がおもしろい効果を生んでいます。曲・詞ともに、あんやほさんです。

 

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人間は、「口から出口まで空(から)」で、

そこを色んなものが「上から下へながれてく」だけ。

 

冒頭からさらっと強めの韻を踏みながら、

人間を“チューブ状の物体”のように見る冷徹な視点が宣告されます。

 

そうして読み変えられていくわたしたちの世界。

性行為すら「筒が連結し 筒が生まれる」でしかない奇妙な世界のなかじゃ、

「愛してるとかも愛してないも筒の茶番劇 おかしいね」。

 

それどころか、さらに言葉としての「筒」の周辺にある色々な表現によって、

それから「tsu-tsu」という韻を踏むために、人間が描かれていきます。

 

口から情報吐いて「筒抜け」祭、

噂と事実に混乱して群がっている筒たち。

「筒の分際で"慎"ましく暮らす」くせに、「筒の一生は"苦痛"に塗れる」。

 

ここでふと気づくのは、

メタファーのほうが元の対象を追い抜いてしまっているということです。

つまり人間のほうが、「筒」によって定義されているのです。

 

こんなふうに内容だけでなく、歌詞の構造的にも筒に支配されるのですから、

「自律してるのは自分じゃなくて かなしきかな筒の方だね」

「自律してるのは自分じゃなくて 筒に脅されているだけさ」

という言葉が出てくるのは当然です。

 

そんな筒にとって、邪魔なのは「脳」とか「心」といった ”人間くさい” 部分。

「要らない心が筒の底を塞ぎ ガス抜きが出来ずに死んでく」くらいだったら、

「脳の敗北」を認めちゃって「空っぽのままに生きてりゃいいのにな!」

 

人間の湿っぽいセンチメンタルな部分への否定というか、小賢しい「脳」や「心」の統御・抑圧を打ち破ろうとする歌詞は、硬派で雄々しいメタルに似合っています。

 

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しかし、それを飄々としたミクさんが歌っていることに注目したいところです。

 

人間が歌えば、この社会に対するシニカルな反抗といった

社会風刺的な側面が強く出たであろう作品が、

 

人間ではないミクさんが歌うと、そうした反抗のようなニュアンスは薄れ、

むしろシュールな世界に引きずり込まれて、無価値な営みを繰り返しているわたしたち筒人間のコミカルさが際立っていく気がします。

 

それはミクさんが、人間と同じ社会に属していないからにほかなりません。

 

人間を筒に例えて直接的なメッセージソングにするよりも、

ミクさんの目に映っているかもしれない「筒人間たちの奇妙な世界」を構築することで、

いわゆる「異化効果」は強まり、逆に強烈なメッセージ性を帯びるのではないでしょうか。

 

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