~ 歌詞でよむ初音ミク 122 ~ アクアノート1/f

たえず揺らいでいる言葉の細密画

「ミクビエント」タグ。おそらく最高峰に調教されたミクさんが、淡く美しいピアノを中心とした癒しの音楽や音のもとで幻想的な情景を歌ってくれています。曲・詞ともにUltra-Noobさんです。

 

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夕陽がふわりと落ちるころ、

そよ風が星々のあいだを誘うようにかすめていきました。

その風に揺らされて、星はきらりと音を響かせます。

 

ふと、微笑みを滲ませてきらりと伝った涙。

それが足元の水面をくすぐっては、泡の音がゆらゆら微笑むように消えていき、

代わりに、露で散った紫陽花の四葩がしとしと泣くように舞い降りました。

 

――「何か」を、あなたと分かち合うことができなかった――

 

キリギリスの機織りのような羽音に添えて、

カゲロウが編み上げの靴できらり軽やかに踊っている黄昏。

やがて沈み還っていく夕陽に照らされて、茜に色づく星屑のもと、

水鏡にはひそひそと誰とも知れない影が映りました。

 

触れては消えてゆく青い髪の少女。

 

あるはずのない夢見草 (=桜) がそよそよと羽ばたいて

しましまの波紋をつくった水面にキスをするように触れると、

木漏れ日がはにかんだように霧がかかったのでした。

 

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この作品のすごいところは、ひとつひとつは具体的な言葉を使っているのに、

全体として描いているイメージはすごく抽象的なところだと思います。

 

それは暗示にみちた象徴主義のような手法といえるかもしれません。

わたしには、それが「揺らぎ」というイメージを表現している気がしました。

 

タイトルにもある「アクアノート」とは、水中に沈潜していく「潜水夫」のことですが、カタカナだと「水音の旋律」といった風にも読めます。

また「1/f」とは、規則性とランダムのあいだの微妙な周期をもった波形のことです。癒しの効果があるとされ、そのためか「水が渦をまくような音」が心地よくずっと聴こえていますよね。

 

そうした「揺らぎ」のイメージは、歌詞にも反映されています。

 

分かりやすいところだと、「ふわり」「ゆらゆら」「そよそよ」などは、どれも何かが揺れているさまを示す擬態語ですし、「そよ風」「妖星」「水泡」といった揺れ動くものの形象も数多く出てきます。動詞についても、「消えていく」「溶ける」「変わる」などと異なる状態へ移ろうものから、「揺れる」「ブランル」「踊る」「くすぐる」などもっと直接的なものもあります。

 

そして、なかでもわたしが注目したいのは、”意味の揺れ” です。

 

たとえば冒頭の「ふわり落ちる 夕暮れそよ風の誘い」。

わたしは「(太陽が) ふわり落ちる 夕暮れ」と「そよ風」のように書きましたが、

「ふわり(・・・)そよ風」と「落ちる夕暮れ」という意味でも通じます。

 

あるいは「きらりうつむく ひそひそ誰そ彼れ水影」は、

「きらり(・・・)水影」なのか、その前からつながって「星屑 きらり」なのか。

 

それらがどんな効果を生むかというと、

文の意味がずっと未決定なまま漂っている、揺らいでいる、というような感覚だと思うのです。いわば "意味の揺らぎ" とでも言いましょうか。

 

言葉を粒子のようなものと考えて、論理的にきっちり連結させていく立場の人は多いと思いますが、言葉を波動のようなものと考える人もいます。その場合、言葉のイメージは直線的な論理ではなく、周期的に点滅しているような感じになります。

 

そうして随所に散りばめられた "揺らぎ" のイメージの軸として、「触れては消えていく青い髪」――ミクさんを思わせなくもない――の少女と、一度も表立っては出てこなかった「わたし」 の揺れ動く感情が重なって、ひっそりと沈んでいきながら全体の渦ができていくように感じるのです。