~ 歌詞でよむ初音ミク 128 ~ 野菜サラダ

崩れたグリッドから自由にこぼれだした言葉

プログレ的な展開をもった「ミクトロニカ」。淡く心地良いまどろみに、不安定な怪しさがちらついて、不思議な世界に引きずり込まれる一曲です。曲・詞ともに不始末Pさん。

 

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さかさまに「根っこが頭をだし」た奇妙な精神世界。

それが頭上までするすると伸びて、陽の光を隠しました。

 

すると、まるで彼女の言葉と同じように、

「意味のあいだを満たす なめらかな液体」の流れが止まってしまいます。

 

淀みによって、世界がちぐはぐになったとたん、

そこに掛かっていた「編み目がはらはら」と崩れていって、

そのせいで「泡の粒」がこぼれだし、自由に踊り始めました。

 

どんどん生まれる不思議なイメージ。

「もとの通りには直らない」世界のなかで、

何かがゆるやかにしなびつつ、何かがゆるやかに生まれていく。

 

彼女は、そんな「兆し」や「徴し」を感じているのでした。

 

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やまい」という言葉がでてくるように、

彼女はこころの病を患っているのかもしれません。

 

精神疾患において、

支離滅裂なことを発する ”言葉のサラダ” という状態があるそうで、

実際、この曲ではあきらかにまとまりのない言語を話すミクさんがいます。

 

タイトルがそれを少しもじって『野菜サラダ』となっているのも、その症状の顕著な例で、

口に出そうとしたイメージが別の近いイメージへと横滑りし、意味の足踏みを繰り返してしまっているように思います。

 

ですが、

単にムチャクチャなことを歌っている、と受けとっていいのでしょうか。

それではなにか、この曲の底に流れているものを捉え逃してしまいそうです。

 

むしろ彼女は、一生懸命なにかのイメージを伝えようとしている気がします。

それはもしかすると、彼女自身を捕らえた心の病気についてなのかもしれません。

 

自分の感じている世界を表現したい伝えたいという逼迫した気持ちと、

にもかかわらずうまく機能せず伝わらないもどかしさのなかで、

 

彼女は、その病状がもたらした、

人知れず豊かなイメージの世界を伝えようとしているのではないでしょうか。

 

じじつ、言葉のサラダというのも、単に支離滅裂なことを発しているのではなく、

イメージの過度な連結や溢れかえりに晒されているせいだとも言われます。

 

やまいは (・・・) 夢幻のごとくあり」。

日常言語として聴くと、共感しがたくて「しなびていく」ような彼女の言葉には、

しかし制約を脱したおかげで、「ゆるやかにうまれてゆく」自由で豊穣なイメージが溢れかえっているようにも感じます。