~ 歌詞でよむ初音ミク 132 ~ 夜がこんなにも長いせいでこのままじゃ愛を裏切りそう。
聖母のように愛そうとしてるけど
アコーディオンや輪唱などケルティックな可愛さと温かみのある音楽に、詩的かつハードボイルドな男女関係を匂わせてコントラストの効いた作品。曲・詞ともに沢田凛さんです。
**********
夜行性のフクロウのような「きみ」。
首輪でつなぎ止めるまえに、「きみ」は「ここ」を抜け出してしまいました。
そして「朝がくるまでの長い闇を飛び回って」、
「私の自分の腕のなかではない」どこかで愛にありついているのです。
気ままな「きみ」は気づいてないかもしれない。
だけど「私」は、すべて知っているのです。
「きみ」と誰かの「布が擦れる音」に始まって、
「声をあげて悶え」ながら「愛液の泡立つ音」まで、ぜんぶ。
ですが彼女は、「あと二回だけ」なら許したげる、と言うのでした。
それは「私のことまだ愛してる」と知っているから。
だから「つまらないこと」してないで、「戻ってきて。」
それでもまだ「愛を裏切りそう?」と問うと、
彼は、「或いは」(もしかしたら・・・) と前置きしたうえで、
「夜がこんなにも長いせいでこのままじゃ愛を裏切りそう。」とだけ答えるのでした。
**********
・・・と、受けとるのが普通なのかもしれませんが、
おもしろいことに、わたしはだいぶ違ったふうに聴いてしまいました。
「或いは」には2つの意味があります。
(1) 「もしかしたら」「ひょっとすると・・・」という意味 (上のとおり) と、
(2) 「もしくは」「または」という意味。
わたしは (2) のほうの意味で受けとったようです。
そのため、別のシーンを思い浮かべたのでした。
つまり、「愛を裏切りそう?」と「きみ」に問いかけたものの、
そのあとで、言葉をつづけて不安な気持ちをポツリと漏らしたような。
"「あるいは」(もしくは)、きみじゃなくて「私」のほうが、
「このままじゃ」「愛を裏切りそう。」" ――と。
そうなると、聖母のような人ではなく、内面は追いつめられた女性に見えてきます。
たとえば冒頭から出てくる「さみしさ」という言葉。
「戻っておいで」ではなく、「戻ってきて」と言ってしまう余裕のなさ。
さまざまな婉曲表現も、
詩的な言い回しというより、苦い現実を遠ざけるために思えてきたり。
そんな不安な独白のなかで、
ふと「このままじゃ」私のほうが愛を裏切りそう、と呟いてしまった――。
そんなふうに聴いてみるのも悪くないと思います。
ただし、いずれにしてもこの曲には、
あくまで干渉しない執着もしないハードボイルドな雰囲気が漂っています。
そのドライな美意識に、
自ら縛られている彼女の姿を考えてみれば、いっそう切ないものがあると思うのです。