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~ 歌詞でよむ初音ミク 132 ~ 夜がこんなにも長いせいでこのままじゃ愛を裏切りそう。

聖母のように愛そうとしてるけど

アコーディオンや輪唱などケルティックな可愛さと温かみのある音楽に、詩的かつハードボイルドな男女関係を匂わせてコントラストの効いた作品。曲・詞ともに沢田凛さんです。

 

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夜行性のフクロウのような「きみ」。

 

首輪でつなぎ止めるまえに、「きみ」は「ここ」を抜け出してしまいました。

 

そして「朝がくるまでの長い闇を飛び回って」、

「私の自分の腕のなかではない」どこかで愛にありついているのです。

 

気ままな「きみ」は気づいてないかもしれない。

だけど「私」は、すべて知っているのです。

 

「きみ」と誰かの「布が擦れる音」に始まって、

「声をあげて悶え」ながら「愛液の泡立つ音」まで、ぜんぶ。

 

ですが彼女は、「あと二回だけ」なら許したげる、と言うのでした。

それは「私のことまだ愛してる」と知っているから。

だから「つまらないこと」してないで、「戻ってきて。」

 

それでもまだ「愛を裏切りそう?」と問うと、

彼は、「或いは」(もしかしたら・・・) と前置きしたうえで、

「夜がこんなにも長いせいでこのままじゃ愛を裏切りそう。」とだけ答えるのでした。

  

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・・・と、受けとるのが普通なのかもしれませんが、

おもしろいことに、わたしはだいぶ違ったふうに聴いてしまいました。

 

「或いは」には2つの意味があります。

(1) 「もしかしたら」「ひょっとすると・・・」という意味 (上のとおり) と、

(2) 「もしくは」「または」という意味。

 

わたしは (2) のほうの意味で受けとったようです。

そのため、別のシーンを思い浮かべたのでした。

 

つまり、「愛を裏切りそう?」と「きみ」に問いかけたものの、

そのあとで、言葉をつづけて不安な気持ちをポツリと漏らしたような。

"「あるいは」(もしくは)、きみじゃなくて「私」のほうが、

「このままじゃ」「愛を裏切りそう。」" ――と。

 

そうなると、聖母のような人ではなく、内面は追いつめられた女性に見えてきます。

 

たとえば冒頭から出てくる「さみしさ」という言葉。

「戻っておいで」ではなく、「戻ってきて」と言ってしまう余裕のなさ。

 

さまざまな婉曲表現も、

詩的な言い回しというより、苦い現実を遠ざけるために思えてきたり。

 

そんな不安な独白のなかで、

ふと「このままじゃ」私のほうが愛を裏切りそう、と呟いてしまった――。

 

そんなふうに聴いてみるのも悪くないと思います。

 

ただし、いずれにしてもこの曲には、

あくまで干渉しない執着もしないハードボイルドな雰囲気が漂っています。

 

そのドライな美意識に、

自ら縛られている彼女の姿を考えてみれば、いっそう切ないものがあると思うのです。