~ 歌詞でよむ初音ミク 135 ~ 沈める梟
梟は飛び立つことができなかった
「ミクトロニカ」タグ。静かな展開のなかに危うさを抱えているようで、自由で複雑なコードが意外な耳ごたえでまとまっていく様子がとても美しい作品です。曲・詞ともに、ペリカンドンキーさん。
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「湿った部屋」で、羽音のよろめきを聴きながら、「息を吐」いている彼女。
「痛みを癒すアスピリン」のような雨に打たれ、
「願いを映すフォトグラム」のような空のもとにたたずむ「あなた」を前にして、
彼女は「かさばる記憶」に押しつぶされ、
「扱いきれない言葉」を胸にかかえていました。
「全てを受け入れたなら 報われるはずなのに」、
それができないまま、「持て余す時間」に「夜は止めどなく」過ぎていきます。
枝上で微睡む「鳥」、俯いたままの「咲き終えた花」。
吐き出した「溜め息」は、
水蒸気になって「希望」ごと連れて消え去ってしまいそうで、
彼女は、手元に残された「僅かな口実」だけを、
自分に「言い聞かせ」て生きながらえていくのでした。
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すこし具体的な情景へと誘導しましたが、
この曲で重要なのは「形を移ろう」「通り過ぎた」といったイメージではないでしょうか。
梟(フクロウ)とは知性の象徴です。
ヘーゲルという哲学者は、"「形を移ろう」現実のあとに、事後的に、知性(ミネルヴァの梟)は飛び立つ" と言いました。
じっさいヘーゲルはその生成変化する現実を、
弁証法という仕方でダイナミックに概念化していくのですが、
ここでは、それとは正反対のことが歌われている気がします。
タイトルのとおり、『沈める梟』なのです。
知性の梟は、”変化する現実” を前にして立ち上がることができませんでした。
たとえば冒頭では、「形を移ろう」ものの ”消滅” や ”消散” のイメージがつきまとっている気がします(「名前を忘れた」「体を亡くした」「波」「沈む」)。
でも、その冒頭の部分は、
平易なことばなのに、うまく理解できない不思議な歌詞なのです。
「形を移ろう」ものは、それを十分に言葉にしたり、完全に理解したりすることができません。言葉とは、何かを捕まえて言語的に固定するものだからです。
だからこそ「扱いきれない言葉」だとか、「何も伝えられぬ」といった歌詞がでてくるのかもしれません。「全て受け入れ」ることができないのです。
「あなた」が具体的にどうなっているのかは分かりかねます。
でももしかしたらその人もまた、移ろいゆくなかで ”消失” を迎えつつあるのかもしれません。
そして彼女は、「形を移ろう」現実をまえにして、
不十分だと分かっていながらも「手に残された僅かな」言葉を、投げかけているのではないでしょうか。
vocanew.hatenablog.com (こちらのサイトで紹介されていました)