~ 歌詞でよむ初音ミク 142 ~ 部室

場所に救われるということ

「アコギミク」タグ。フォークな曲調に、身近でシンプルな郷愁を歌った曲です。キラキラしたアイドルらしからぬ、ミクさんのだらだらと鬱屈した青春が見えてくるのも面白いところです。曲・詞ともにマッコイさん。

 

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「離れの部室棟」の、

さらに「いちばん奥の部屋」に、

「わが部室」はありました。

 

部室、といっても部活の「部」というより、

たぶん大学や専門学校のサークルのような気がします。

「写真部」とか「天文部」みたいな。

 

そこには「いつでも誰かいて」、

「いったいどれだけの時間」を、そこで過ごしたことでしょう。

 

「汚れたこたつ」で朝まで麻雀したり、

そうして「徹夜明けの空」をみんなで迎えたりして。

 

「どこにも行くあて」のなかった「僕」は、

あの部室に「受け入れて」もらうことで、「救われた」のでした。

 

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何かを “する” ための場所というのは、

コンサートでもスポーツでも、その何かのほうがメインです。

 

反対に、

そこに “いる” ための場所というのは、

何をするかはほとんど関係ありません。まさに何でもないような場所です。

 

ところで、よく考えてみると、

この曲の「部室」も、“何” 部なのか歌われていません。

 

何をするかはどうでもよくて、

そこに “いる” ことが大切だったようです。

 

たしかに、わたしたちにとって場所というのは、

何かを “する” ことに一生懸命なときには、

なかなか気づくことのできない意味がある気がします。

 

便利とか、快適とか、良い環境とか、

そういうこととは全然ちがう次元で、

 

何かが叶わなかったり、何かに失敗したりしても、

平然として「受け入れて」くれること。

 

この曲の「部室」も、何をする場所でもなかったからこそ、

「どこにも行くあて」がなくて、きっと何をしたらいいのかも分からなかった「僕」を受け入れることができたし、「救われた」気持ちにできたのではないでしょうか。

 

それが、“いる” ための場所、

つまり “居場所” というものなんだと思います。