~ 歌詞でよむ初音ミク 148 ~ krank
苦しまぎれの「笑うだけ」
「ききいるミクうた」タグ。ですが、とても反抗的なピアノや伴奏が生みだす危うさと、絞り出すようなミクさんの声が非常に緊張感のある作品です。曲・詞ともに、有機酸さん。
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「病気の状態」を意味するドイツ語の「krank」。
そのタイトルのとおり、
「天国」「終わらせて」「消え行く」など、不穏な雰囲気のなかで、
あるとき、死(浄土)を思わせる「蓮が咲いた」のでした。
それなのに、
「未だあなたを生かし続けてるあれ」。
呼吸器だとか人工心肺装置だとか、具体的なことは分かりません。
とにかく、それは「決してあなた自身じゃない」のにもかかわらず、
「ねじ曲がったあれ」を「大事そうに抱きしめるような」あなたの生命。
そんな「軋むあなたの身体」を見ていると、
「息詰って」「せめてその手で終わらせて」しまいたいけれど・・・
それは「捨て際の日々」でした。
「馬鹿馬鹿しい 煩わしい 異様な暮らし」でした。
「でもそれだけが唯一の価値」だったのです。「僕」にとっては。
「あなたがかけてた古い音楽」が溶け出すように、
「あなたが避けてた甘い天国」が近づいてきて・・・
かろうじて踏みとどまっているその生命に対して、
「もう振りきれよなあ」と思ったりもします。
「いずれは消え行く陽」なのだから、と。
でもけっきょく「僕ら狐(こ)のままでいようか を繰り返してしまう」のでした。
このままでいることは、キツネの化かしあいのような欺瞞なのに。
「ここには光はないし ましてや言葉もない」。
「僕らこれからどうしようか」・・・
だけど、結論は、
「二人最初に戻るだけ」でした。
「二人最後に笑うだけ」でした。
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「僕らこれからどうしようか 二人最後に・・・」と始まるこの曲。
当然、”どうなったんだろう?” と、冒頭から思うのですが、
彼らの出す答えは、「最初に戻るだけ」「最後に笑うだけ」でした。
ストーリーだと思って聴いてしまうと、
この ”笑み” は、何の解決にもならないと感じるかもしれません。
でも、
「繰り返し」ぐるぐる回るこころの煩悶や逡巡の、
果ての果てに零れ落ちたものだと思ってみると、
答えにならない答えだということ、
宙ぶらりんのまま苦い感情が残るだけの答えだということ、
それ自体が、ものすごく意味を帯びているような気がします。
苦し紛れだからこそ、
何の解決にもならないからこそ、
この「笑うだけ」には、答えにならない悲しみがあるのではないでしょうか。
そこには、望まれた「無痛の愛」なんてものからはほど遠い、
痛々しい愛の吐血があると思うのです。