~ 歌詞でよむ初音ミク 152 ~ シロツメクサの花冠
自分のための歌じゃないのかも
「ききいるミクうた」タグ。ゆっくりと静かな音楽に、満ちあふれる優しい雰囲気。穏やかでナチュラルで、誇張のないミクさんの声が、感情を誇張する人間以上に情緒的なのが本当に不思議です。ちなみにシロツメクサはクローバーのこと。曲・詞ともにgomezkeiさんです。
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「無声映画のワンシーンみたい」な記憶。
そこには「まだ幼い少女の顔」の自分がいて、
「シロツメクサの花冠」を「おでこにかけた」まま 、
「暮れるまで」編みつづけています。
あのときは、そんな時間が
「幸せなこと」だと「気付かずに」いたのでした。
... それから「夏」のこと。
「やわらかな風の中」で、太陽の「光の輪」が踊るなか、
「ほどけた髪」のまま、「しなやかな肌」に「白らかな肩」をむき出して。
「メリーゴーラウンド」みたいに、
意味もなくそのあたりをぐるぐると駆け出すときの「胸の高鳴り」や、
「喉に焼けつく」くらいおいしかったサイダーの味のこと。
そういえば、瓶のなかで舌先に転がってくるビー玉は、
きっと「触れられると信じてた」のでした。
誰のものでもない、私だけの、
ささやかで「秘めやかな想い出達」。
「希望の匂い」でいっぱいだったあのころ。
あの「零れるような蒼い日々」を「忘れはしないでしょう」。
だけど、
「もう2度と戻れない」のです。
同じように、そんな「 "今" を私は生きてる」わけですから。
いまは、この花冠を「あなたへ捧ぐ」のです。
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最後にでてくる「あなた」。
それって、彼女の "娘" のことじゃないでしょうか?
そう思って聴き直してみると、
作品の味わいは、さらに深まる気がするんです。
もちろん、最初は美しいノスタルジーの曲で、
二度と戻らない過去を懐かしんでいる、と思っていたのですが、
母性に満ちた作品の雰囲気や、唐突な「あなた」について考えていると、
だんだんこの曲全体が、自分個人のノスタルジーのためじゃなく、
自分の娘に向かって心のなかで語りかけている内容のように聴こえてきます。
目の前ではしゃぎながら遊んだり、花冠を編んだりしている娘。
そのすがたを座って見守っているお母さんのミクさんが、
自分の幼いころを思い出しながら、重ね合わせて・・・。
だとすると、
「もう2度と戻れない」という言葉も、
ただ過去を惜しんで切なくなっているというより、
"だからあなたも大切に生きてほしい" という願いに聴こえてきます。
その「零れるような蒼い日々」を生きるのは、
「私」ではなく「あなた」なのです。
ただし、彼女は彼女で「今を私は生きてる」と歌っています。
それはつまり、
幼いころは "自分のため" に編んでいたシロツメクサの花冠を、
「あなたへ捧ぐ」ようになった母としての「今」のことではないでしょうか。
シンプルに見えて、ほんとうに奥行きの深い作品だと思います。