~ 歌詞でよむ初音ミク 159 ~ 砂の惑星
ほんとうに、そこは砂の惑星なのか
「マジカルミライ2017テーマソング」。いまやソロシンガーの "米津玄師" さんとして非常に有名になられたハチさん (ボカロPとしての名義)。スピード感があって断片的でかっこいい音楽やフレーズなど、色んな意味でハチさんらしさの詰まった作品です。
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「何もない砂場」に、「飛び交う雷鳴」。
「立ち入り禁止の札」でいっぱいの、
「今後千年 草も生えない 砂の惑星」に、「僕」はいます。
ここにあるのは、「しょうもない音で掠れた生命」と
「こんな具合でまだ擦り減る運命」だけ。
日は沈み (サンゴーズダウン)、雷雨 (サンダーストーム) のなか、
「僕」は「のらりくらり歩き回り」、「君」のもとに「たどり着いた」のです。
「そういや今日は僕らのハッピーバースデイ」でした。
「思い思いの飾り付け」をし、「甘ったるいだけのケーキ」を囲んで、「歌を歌おうぜ」。
だけど「有象無象の墓の前で」、
「あの混沌の夢みたいな歌」が蘇ります。
・・・今だけは「もう少しだけ友達でいよう」。
でも「この井戸が枯れる前に 早くここを出て」行かねばなりません。
この砂の惑星が「元どおり」になるまで、
そして「僕ら」が「仲直り」できるまでは、「バイバイバイ」。
去り際、「砂漠に林檎の木を植え」ておきました。
「後は誰かが勝手に」育ててくれればいい。
彼から言えることは一つ、
「思いついたら歩いていけ」ということ。
進むべき方角は歌われていません。
「風が吹き曝し」舞う砂の惑星のなかで、
それでも「なお進む」のです。
「君が今も生きてるなら」「君の心 死なずいるなら」、
「応えてくれ」、と「祈り」つつ。
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現在のVOCALOID音楽への隠喩とも、
他のボカロPに対する曲とも読めそうな、
挑発的で、野心的なメッセージに満ちています。
それを発売10周年を祝うマジカルミライで歌っちゃうというのも、
人間じゃない仮想アイドルならではの、かなり尖った面白さがありますね。
でもわたしが注目したいのは、ちょっと違うポイントなんです。
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個人的にこの曲のとっても興味深いところは、
「砂の惑星」という、想像力をかきたてるタイトルがありながら、
その惑星について、イメージを喚起させる描写が少ないところだと思いました。
ほんとうに、そこは砂の惑星だったのでしょうか?
それを感じさせるような生々しくて豊かな表現は、
歌詞のなかにはあんまりありません。
その代わり、ちょっともったいないくらい、
過去の有名曲を匂わせる言葉遊びのフレーズに、多くの部分を割いています。
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じりじりとした砂塵の情景を感じさせることよりも、
抽象的な言いたい事、メッセージが先行するということ。
思えばいつからか、こういった歌詞は、
ボカロ曲のメインストリームだったのかもしれません。
というより J-POP的なメッセージソングの流れでしょうか。
ボカロ曲の場合、直接的なメッセージは、
暗号解読的なメッセージに、シフトしていった気もします。
人格のない機械音だから、
暗号的になっていく素地があったとも言えるかもしれません。
それはそれで面白い現象ですが、
でもどのみちメッセージソングなのです。
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ところで、このブログを1年半ほどやってきて、
歌詞の面での、VOCALOIDという合成音声の面白さって、
別のところにもあるんじゃないかな、と感じます。
そのうちの一つが、ナラトロジー的に言って、
"言葉" のほうが、 "語り手" を逆構成するという点です。 *1
だからこそ作品ごとに、
その語り手を取り巻く "シチュエーション" も想像できるのだと思います。
語り手がまずあって、言葉を従わせるメッセージソングとは、
(直接的であれ暗号的であれ)真逆なのです。
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時々書いていることですが、このブログはというと、
そういうところにVOCALOIDの面白さと可能性を感じています。
だからこそ、
こういった曲を聴くと、問いかけてみたくなるのかもしれません。
そこはどんな砂の惑星なのでしょうか。
言葉で描かれないのなら、ほんとうに砂の惑星と言えるのでしょうか。
というわけで、
今回は、このブログとはあんまり縁のないタイプの歌詞なのですが、
一つの時代、一つのパターンを象徴する作品として色んなことを考えさせてくれる、
やっぱり興味のつきない曲なのです。