~ 歌詞でよむ初音ミク 168 ~ POP TEAM EPIC (上坂すみれ⇔初音ミク)
歌詞のなかにある "私" ⇔ "君" の不思議
いま流行りのポプテピピック。
上坂すみれさんのOP曲も最高にかっこいいです。
その曲のフルver.もかなり話題になっていて、
ものすごい耳コピ能力のhiropon_5thさんによって、
ミクさんの声でフルカバーを聴くことができるようになりました。
これがまた素晴らしいんです。
とくに電子音楽好きは、かなりの確率でドンピシャな気がします。
でも2つを比べてみると、なんか印象ちがいませんか?
耳コピ完璧なのに!(笑)
もちろん、ちがうのは声です。
でもそれ以上に、なんだか歌詞の印象がちがうんです。
で、ちょっとその理由を考えてみようと思いました。
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この歌詞、よく聴くと「私」と「君」が出てきます。
正確にいえば (1)「私」と、(2)「 "君" と呼びかける誰か」が出てきます。
最初はどういうことかよく分からなかったんですが、
偶然にも上坂さんとミクさんの歌を比べると、構成がはっきりします。
上坂さんの歌には、クールさの中に、胸をアツくさせる衝動や感情があります。
ミクさんの歌は、もっと冷たくてドライでどことなく悲しいものです。
それって、歌詞の「私」と「 "君" と呼びかける誰か」に重なるのでは・・・?
人間らしさの衝動を叫ぶ「私」を上坂さんとして、
そんな彼女に「 "君" と呼びかける誰か」をミクさんとして、
改めて歌詞を聴いてみませんか。
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「 "君" は監視されてる」。
逃れようとしても、「野花結び合わせ」るように、
「青色のカレイドスコープ (万華鏡)」が自分を映してクルクル回るだけ。
それはまるで「スピログラフ (特殊定規)」で描かれた「幾何学模様」。
複雑にみえて、単純な図形の繰り返し・組み合わせだけの世界。
本当の自分なんてありもしない。
「無意識バイアス (偏見)」を掛けられて、
「誰も知らない存在理由」を課せられて、
ひたすら「パラレルワールド」、
「意味が無い」「変幻のマンダラ」。
そのなかで君自身のことを「 "君" も忘れるだけ」。
「ミラーシステムは "君" を箱庭に閉じ込めた」のだから。
・・・、
・・・・・・それなのに、うずきはじめる「 "私" 」。
<散りばめる願いに気付いて>
<ミライ デザイン 変えたい>
鏡の奥、どこまで探したって、
本当の「イデア」は見つからないけれど、
その果てしない<キラキラの鏡ぶち壊して>しまえば、
<新世界へ!>、<世界をリメイク>できるような気がして。
そうして "私" は「壊さなきゃ見れない」世界へ向かって、
「観賞用のフラワーアレンジメント」からの
「離脱!」を告げるのでした。
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こうやって聴いてみると、
上坂さんとミクさんは同じ万華鏡のなかの自分――に思えてきます。
映し鏡だけのミラーシステム的な、幾何学模様のなかに飲み込まれていて、
その中で「破壊と創造」の人間的衝動を取り戻す自分が上坂さんだとすれば、
そんな自分を静かに見つめる、無数の鏡像的な幻影の自分がミクさん。
つまり上坂さん ⇔ ミクさんと言いますか、
「世界をリメイク」といって「離脱」していく上坂さんに、
「またお別れね 次の世界で待ってるから」と言っているのがミクさんのような。
だったら鏡のなかのミクさん視点で聴くと、
この歌が冷たく切なく感じるのも当然だと思えてくるのです。
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もちろんポプテにミクさんは全く関係ありません。
でも偶然なのに、偶然とは思えない相性を感じる人もいるのは、
この曲をよく聴いてみると、もともと歌詞の構造自体が、
「生身の人間」と「鏡」のことを歌っているからではないでしょうか。
「鏡」の側に残されたミクver.も味わってもらえると、
きっともっと原曲のかっこよさを楽しめると思うんです。
でも、
"こんなあにめにまじになっちゃってどうするの?" ってポプ子に言われそう・・・w