~ 歌詞でよむ初音ミク 176 ~ トーキョーゲットー

トーキョーという抜け出せないゲットーのなかで

流れるようなカッティングが渋くて素敵な作品。まるでその一部のような歌詞は「音」としても気持ちいいし、「意味」を考えてみても面白い、という二重においしい構造になっています。曲・詞ともに、Eveさん。

 

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「トーキョー」という大都会。

きっと自由と可能性にあふれた場所・・・の "はず" でした。

 

それなのにいつのまにか「有刺鉄線」だらけの、

「どうしたってこうしたって進めないまま」の

「退廃的」で「ヒッピーなこの街」に感じるようになっていて。

 

自由の象徴だったはずの「トーキョー」のなかで、

隔離され見捨てられて抜けだせない「ゲットー」に生きているかのよう。

 

この街の、「誰でもいい」ような誰でもない匿名の

「貴方」、「貴方々」のことを気にしたり憧れたりしながら、

「僕」は「その度自分を失いかけていました」。

 

「舌を噛んでそこで黙っていれば」

ひっそりとは生きていけるけれど――

 

――ところが「そんなそんな毎日だった僕の前に」、

「君」が現われたのでした。

  

「君」は、まだ「僕」と同じように

この場所にしがみついて「手放すことに怯えている」のですが、

きっとこのゲットーから抜け出して、「蝶」のように自由に羽ばたいていけるはず。

 

だから行けよ、と。

「ビビれば君は今日もステイ」。

この場所で足踏みしつづけることになるから。

 

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「君」とは誰でしょうか?

 

トーキョーというゲットーでくすぶる同じ境遇の人物とも受け取れますが、

もしかすると、「僕」の影分裂、あるいは "可能性" のことかもしれません。

 

いまここであがく「僕」が現実で「本物」なのだけれど、

だからこそそんな自分の "可能性" に向かっては「本物を超えろ」

と願っているようにも聴こえます。

 

ただしここで面白いのは、

"可能性" といっても青春っぽくてロマンチックな理想というよりも、

もっとグロテスクでグチャグチャで「想定通り」にはならない

制御できないモンスターのようなエネルギーと感じる所ではないでしょうか。

 

じっさい、

この曲に感じる不穏な予感、今にも爆発しそうな鬱屈した雰囲気は、

"爽やかな未来の可能性" といったものとは明らかにちがう気がします。

 

いまの「君」はまだ、怯えて「感傷的」なまま。 

 

でも、この現実を破壊しつくす異形の怪物

「君」のそのエネルギーが爆発する直前のヒリヒリした予感があるからこそ、

一瞬その表情が「美しく映って」いた・・・。

 

そんなふうに聴いてみるのも良いかもしれません。

 美とは、崩壊の予感なのです。