~ 歌詞でよむ初音ミク 178 ~ 少女レイ

語り手がいつも善人とはかぎらない

とっても爽やかなサマーソングに、びっくりするほどクズでリアルな生々しい視点の歌詞。最高にボカロの良さが出ています。曲・詞ともに、みきとPさん。

 

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イラストでは百合百合しいイメージで、もちろんそれも良いのですが、

 

このブログは歌詞を追って読んでいるので、

そのまま「僕」という視点で聴いてみます。

 

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「仕掛けたのは僕」でした。

 いじめ、次の標的は「君」。

 

「君」は、いわばモルモット的な、

実験で反応を確かめる「ハツカネズミ」でした。

 

でも少し複雑なのは、

「僕」はイジメに加わらないということ。

 

それどころか

「僕」はそうやって「悲鳴」をあげる君を「助け」てあげるのでした。

――「そう、君は友達」「僕の手を掴めよ」――。 

 

そこには、支配と愛を混同してしまった

歪んだ愛情表現が見え隠れします。

 

まるで首を絞めて、失神しそうになるまで追いつめたあと、

耳元でそっと甘い言葉をささやくような。

 

合意のうえのプレイなら別ですが、

これは完全にマインドコントロール(洗脳)のやり方です。

 

自分のせいで犠牲となったのに、

「夏が消し去った白い肌の少女」と言って、

そんな「君」を儚くて美しい悲劇のように描く、

「僕」の異常な自己愛。

 

そうした感情の動きを、あまりにも爽やかに歌っているわけで、

つまり、語り手がいつも善人とはかぎらないのです。

 

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ここまででも十分に素晴らしいのですが、

さらに興味深いのは、このマインドコントロールが失敗することです。

 

「君」は逃げだして「踏切」へ飛びこみ、おそらく自殺してしまいます。

 

じつは「友達」というのが伏線になっていて、

いくら追いこんでも「友達」の一線は越えられず、

「愛し合える」関係になれなかったのでした。

 

支配しようとしていた相手に、

「死」という絶対に届かない場所へと逃げられ、

そちらから「指を差される」という逆転が起こるのです。 

 

幼稚で未熟な、歪んだ愛情表現。

そしてそれがが失敗していくさまを、

みきとさんは距離をおきつつ、淡々と描いたのではないでしょうか。

 

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さて、

こういったあまりにリアルな歌詞は、

 

自分の意志をもった人間が感情をこめて歌ってしまうと、

エグみが強くなりすぎてしまいます。

 

しかもシンガーソングライターだと自分自身の人格と混同されかねず、

距離の取り方が難しくなりますし、

 

といって、代わりに生身のアイドルに歌わせるにしても、

そのアイドルのキャラクター的にマイナスプロポーションになりかねません。

 

そういうとき、機械の声はぴったりなのです。

 

余計な感情を抑えてあっさりと中和してくれますし、

どんなにエグい歌詞を歌っても、本当の人格ではありません。

 

しかもアイドル性の強いミクさんの声は、

まさに "爽やかなサマーソング" というフリをしっかり作ってくれています。 

 

語り手がクズだっていいじゃん!的な。

ミクさんは文句を言わないですし、語り手がフィクションで自由だからこそ、

表現が広がっていくのですから。