~ 歌詞でよむ初音ミク 180 ~ プラネタリウムの真実
幻だったけど、たしかに「真実」だった
ロマンチックで豪華な音楽陣に、意外なところで転調するファルセット的なミクさんの声がとっても合っている作品。個人的なことですが、裏声ミクさんすごく好みなんです。曲・詞ともに、夏代孝明さん。
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二人の部屋の「合鍵」を落としてないか、
不安になって「ポケット」を何度も「確かめた」ころ。
この「古びた街並み」で、
一緒に「暮らしてみたい」と感じたこと。
「君の夜道を照らす 星でありたい」と真剣に思ったこと。
二人が一緒にいることの「理由なんていらない」と言って、
深夜の星座とともに歌うような日々を「1分1秒」惜しんで思い描いていたこと。
――あの頃は、
きっとそれが本物の星空のように未来へと広がっていくと思っていたのに、
実際は「プラネタリウム」のように、
けっきょく「仮初の天体と感情」になってしまったのでした。
・・・いや、それでも、
「あの日 僕が観た」のは、
あのときの「指先に伝わる体温」や「愛の言葉」は、
「まがい物」なんかじゃなく、まちがいなく「真実」だったはず――。
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「プラネタリウムが描く未来
仮初の天体と感情」
と繰り返されるサビのフレーズ。
耳ざわりも良いし、意味もむずかしいわけじゃないのですが、
きっと流れのなかでは、つながりが謎ではないでしょうか。
わたし的には最後のところでちょっと納得できる気がしました。
「あの日 僕がみた
プラネタリウムの真実」。
ちょっと遠い過去の話をしている気がしませんか?
まるでこの曲の大半は、"あの日" のことで、
本当の今の視点がときどき繰り返しながら入ってくる、という構図のような。
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もちろん聴き方は自由なわけですが、
わたしは「過去」を、「現在形」で語るという時制のトリックを感じました。
トリックといってもただのテクニックではなくて、
当時の「真実の気持ち」が、実現しないまま「仮初」になったということ、
でも「仮初」になってしまっても、たしかに「真実」でもあったということが、
内容的にも、ぴったりうまく体現されているような気がするのです。
実際、すごくロマンチックに思えるこの曲ですが、
「飽きてしまう」「隠してる」「君の見てるミラーとは違って」
「悲しみ」「まがい物」など、反対に不穏なものが散りばめられています。
「プラネタリウム(仮初)」と「真実」という、
対比的にかさなった二重性を感じながら聴いてみると、
この素敵な曲やミクさんの声の切なさが、さらに味わえるかもしれません。