~ 歌詞でよむ初音ミク 136 ~ ひらりひら
たった一音が欠けるだけで
胸を急き立てるように駆け抜けていく非常に美しいメロディが、切なさと不思議な爽やかさを残す作品。劇的に芯の強くなったV4Xミクさんの声の良さがよく分かる曲でもあります。曲・詞ともにdakaraさん。
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「ふわりふわ溶けた夢」のような命が果てるとき、
「ふたひら」の花のような「蝶」が、飛んでいきました。
「ひらりひら浮かぶ青いその羽」で舞いながら。
それっぽっちのスピードにさえ置いていかれた「僕」。
これからは「一人きりの明日が来る」のです。
「悲しみの飽和した朝」の息苦しさ。
「喘ぐ日々を見る」だけで苦しくて、「解けてくれよ もう」。
そんな「僕」に、彼女は言い残したような気がしました。
こうなってしまった「私」では「寄る辺にさえ」なれないけれど、
あなたは「1人でいちゃだめだ」、と。
「ひび割れた思いのまま生きて」ゆくしかないのです。
そうして蝶は、飛んでいきました。
彼はその蝶に「あの時と同じ笑みを」送るのでした。
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タイトルの『ひらりひら』。
言うまでもなく「り」が抜けています。
「ひらりひらり/ふわりふわり」と上下に漂っていたものが、
最後の「り」が抜けるだけで、ふわっと下に下がらない感覚。
そして横に抜けて、流れ、消えていく感じ。この言語感覚に胸を打たれます。
じっさい、この蝶は上下に漂うだけでなく、横に、流れ「去って」いきます。
置いて行かれる、というのもそのせいです。
彼女の転生(メタモルフォーゼ)のようなこの蝶が、
そこからいなくなってしまうとき、何が起こったのでしょうか?
「ひらりひら」にはもう一つ、「り」が足りないという欠落感があります。
「ひび割れ」「綻び」「決壊」などと歌われているイメージにも近くて、
飛び立った蝶が残した、わずかな空白。
おもしろいことに、この "欠落" は、
ちょうど「(悲しみの) "飽和" した朝」と対照的になっている気がします。
窒息しそうなくらいに充満した悲しみのうちに、
その蝶が飛び去ったぶんの間隙が生まれ、新しい空気が入ってくる。
「ひび割れた思いのまま生きてゆけよ」。
不思議なことに、"ふたひらの花" のように去っていく蝶は、
彼を苦しめる喪失でありながら、飽和した息苦しさに風穴をあけるかのようです。
ひらりひら・・・。
情報としてはほとんど意味の変わらない "たった一音の欠落" ですが、
作品のなかで、なにか捉えがたいイメージや意味を帯びてくるような。
そう思わせるのって、すごく詩的な表現だと思うのです。