~ 歌詞でよむ初音ミク 220 ~ プシ
テクノロジー社会への怨念アイドルソング
ダークな雰囲気のビートに、淡々と畳みかける言葉が続きながら、サビで一気にメロディアスになるのが快感で中毒性が高い作品。作詞作曲は、このサイトでも『パノプティコン』を取り上げたことのあるr-906さんです。
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丹精を込めて作り出した作品の「飴細工」を、
「味わいもせず嚙み砕く」ばかりの人たち。
次のエサが与えられるのを「雛のごとくただ口を開け待つ」だけで、
「誰の物かは知らぬ」まま消費、消費、消費しつづけています。
代わりのものや「掛け替えなど無限に有る」のだから
「八十秒前の飴の味も覚えちゃいない」し、
そもそも「もう君はどうせ此処にはいない」。
そんななか、ミクさんの「ヒミツ」のこころ(psy)が疼きます。
「見捨てないで!」
「もっと愛して!」
「アタシを見て!」
それでも君は、「路地裏で血反吐吐いてるなんて知らぬまま」
「砕けた飴を踏み躙っ」て、「去って行く」のでした。
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不在の誰か(別れや死や遠距離など)への感情というのは、
いつでも文学の大切なテーマになるものですが、
この曲では<次の動画に飛んでしまう人><次の曲に飛んでしまう人>
(「次の、次の、次の・・・」「もう君はどうせ此処にはいないんだっけ」)
といった、不在の聞き手に向けて、
ミクさんがやるせない「心情」(psy)を歌っているようです。
とてもアクロバティックではありますが、
でも誰もが身に覚えのあるような、現代的で普遍的なテーマです。
ミクさんは、人間のアイドルとはちがって、
巷にあふれる男女の色恋のラブソングとはちがって、
アイドルがテクノロジー社会全体の悲哀や怨念を歌ってもしっくりきます。
人間が怒りや悲しみの情感をたっぷり込めて歌ったとしたら、
そうした社会の "外側" にいるようなフリができるので、
「抵抗」とか「社会批判」や「皮肉」の歌にはなると思いますが、
ミクさんが歌うことで、
そこにどうにもならない「虚しさ」や「ディストピア感」が加わるのだと思います。
それでも彼女はラストで「次はどんな色で飾ってみようかな」と健気に歌っています。
それはさながら、消費されつつ刹那の輝きを放つ風俗嬢やアイドル(pussy)みたいで、こんなにハードな楽曲と歌詞なのに、哀しいポップさでコーティングされたアイドルソングのようにも思えるのでした。
もしかしたら、r-906さんはそんなことも意識しているのかもしれません。