~ 歌詞でよむ初音ミク 149 ~ 記憶の水槽
こんなに素敵な音楽が「彼女」を包んでいることのおそろしさ
「VOCALOID水槽入り」。ずっと聴いていられるお洒落でとってもかっこいい音楽に、まどろむミクさんの可愛くて抑制された声がぴったりな作品。詞・曲ともに、こんにちは谷田さん (キタニタツヤ) さんです。
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「海に沈めてしまっ」た「君の靴」。
「明日には忘れている」と思っていたのに。
けっきょく「なにもかも覚えている」ままです。
「私」は、ふかいふかい「恋をしていた」のでした。
それは「飴玉のような」、小さな恋の結晶でした。
すぐに溶けてしまうことも知らないで――。
あの日「時計の針」は「止まった」のです。
それ以降、「二度とは動かない心臓」。
「最後の記録」が残されると、
君は「煙になって冬の天井に消えて」しまいました。
それは、焼かれてボロボロになった君と同じように、
すべてが「灰に消えるような」経験でした。
「海が凍りついた朝のような痛みの中で」、
「目を閉じて」「溺れていた」私。
「明日がもう来ない」のならば
「氷の底で」「春を夢見るだけ」。
――だったら、いっそのこと「溺れてしまえ」。
そんな思いが「私」の背中を押しました。
「君」なら「笑って私の選択を許してくれる」はず。
だから記憶の底へ、「二人は水槽で沈んでいく」のでした。
・・・そんなことを、「彼女はずっと夢を見て」「笑うだけ」なのです。
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この曲の歌詞は、
ラストになると突然ぐーっと引いて、俯瞰になって、
「私」のことを『彼女』と呼ぶ第三者の視点になります。
そのときになってようやく、「私」の心が、
危うい方向に動いていたのが見えてくる気がしました。つまり、
「二度とは動かない」まま、
「煙になって」消えていった「君」のはずなのに、
そんな現在のリアルを受け止めることができないまま、
記憶の水槽に「溺れて」「沈んで」しまって、
「笑うだけ」を続けている “彼女” の哀しい異常性。
最後の歌詞で視点が一歩下がることによって、
そんな構図がふっと浮かび上がる気がするんです。
失った人なのに、「恋をしていた」から「恋をしている」へ逆戻りしたり、
記憶の底に溺れていくにつれ、言葉も徐々に変化しはじめて・・・。
そんな「彼女」を、こんなに素敵な音楽が包んでいることのおそろしさ。
もう抜け出すつもりもないのでしょうか。
優しくて最高に心地良い音楽が、
優しくて心地良いからこそ、危うい狂気から抜け出せなくなる。
勝手ながらそんなスリリングな構成を感じて、すごく感動したのでした。