~ 歌詞でよむ初音ミク 188 ~ 水死体にもどらないで
海に沈んだ「水死体」の呪い
ハイセンスでファンクでポップな音楽に、「水死体」という予想外のイメージを掛けあわせた作品。声はFlower(花ちゃん)とミクさんです。 曲・詞ともに、いよわさん。
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全体的に2人の声は混ざっていると思いますが、便宜上、
基本は花ちゃん、サビはミクさん寄りに色分けして聴いてみました。
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突然のこと、
目の前に「セイレーン」(人魚) があらわれ(た気がし)ました。
それは「きみ」でした。
「悲しいくらいよく知ってる顔」なのです。
ところが「ぼく」は「呪い」だと感じ、
「こっちを見るなよ」と思ってしまいます。
なぜでしょう?
それは、「きみと泳ぎに行ったあの日」、
「きみ」は溺れて、海の「青い闇に沈んで」いったからです。
「きみが動かなくなったあの日を」ずっと覚えているのです。
わざとだったのか、冗談だったのか、
たんなる事故だったのかは分かりません。
でも「ぜんぶ僕の責任」で、
「呪われても文句は言えない」とすら思っています。
憎いのなら、僕のつま先をつかんで床に叩きつければいい。
そのかわりいっそのこと「罪ごと噛み切って」くれ、と。
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ところが「セイレーン」はこちらを見つめるだけ。
――「ぼく」(セイレーン)が望んでいるのは、
「きみがただの水死体に戻ってしまえば」良いのに、ということ。
本当なら「きみ」だって、
「ぼく」と同じように「水死体」になって、
「二人の恋は泡になって深海でただよう」はずだったんだから。
「きみ」に「恋したんだ」。
「おいていかないで」・・・
でも、セイレーンは信じています。
やがて「きみ」は自傷して血まみれで「この部屋を赤く染める」、
あるいは入水して「きみとぼくの水死体が (一緒に) うかんでくる」と。
だからそれまでは、
「ここで暮らしていよう」と思うのでした。
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ところが「ぼく」は、冷淡なままです。
「きみ」のことなんか「全部忘れ」たいのです。
溺れていったときの「身体に染みついた潮の香り」も全て。
「ただ泡になって消え」去ってほしい。
それだけを望んでいるのでした。
ちなみにラストの画面右を見ると、
「きみ」はセイレーンではなく、「遺影」だったとあります。
そして幻惑に憑りつかれた「ぼく」は、
追いかけるようにけっきょく海に入水してしまうのでした。
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以上はあくまでひとつの読み方ですが、
わたし的には「ぼく」と「ぼく」をそのままに、
「男の子同士」と捉えてみるのもありかなと思いました。
一方が恋をしているのに、もう一方があまりにそっけないのも、
直接的な性愛じゃなく「ぼくの脳みその味」に興味を持ってほしいのも、
そういう風に考えてみるとよけいに悲しい気がするんです。
それはさておき、詩の大切な要素として、
「イメージとイメージの意外な出会い」というのがあります。
だとしたらこの曲の場合は、
音楽的にも意外なサウンドがいっぱいなのと同じように、
シュールなセイレーンや、グロテスクな水死体が現われたり消えたりする、
「イメージ (歌詞) と音楽の意外な出会い」とも言えるのかもしれません。