~ 歌詞でよむ初音ミク 188 ~ 水死体にもどらないで

海に沈んだ「水死体」の呪い

ハイセンスでファンクでポップな音楽に、「水死体」という予想外のイメージを掛けあわせた作品。声はFlower(花ちゃん)とミクさんです。 曲・詞ともに、いよわさん。

 

**********

全体的に2人の声は混ざっていると思いますが、便宜上、

基本は花ちゃんサビはミクさん寄りに色分けして聴いてみました。

 

********** 

突然のこと、

目の前に「セイレーン」(人魚) があらわれ(た気がし)ました。

 

それは「きみ」でした。

「悲しいくらいよく知ってる顔」なのです。


ところが「ぼく」は「呪い」だと感じ、

「こっちを見るなよ」と思ってしまいます。

 

なぜでしょう?

それは、「きみと泳ぎに行ったあの日」、

「きみ」は溺れて、海の「青い闇に沈んで」いったからです。

「きみが動かなくなったあの日を」ずっと覚えているのです。

 

わざとだったのか、冗談だったのか、

たんなる事故だったのかは分かりません。

 

でも「ぜんぶ僕の責任」で、

「呪われても文句は言えない」とすら思っています。

 

憎いのなら、僕のつま先をつかんで床に叩きつければいい。

そのかわりいっそのこと「罪ごと噛み切って」くれ、と。

 

**********

ところが「セイレーン」はこちらを見つめるだけ。

 

――「ぼく」(セイレーン)が望んでいるのは、

「きみがただの水死体に戻ってしまえば」良いのに、ということ。

 

本当なら「きみ」だって、

「ぼく」と同じように「水死体」になって、

「二人の恋は泡になって深海でただよう」はずだったんだから。

 

「きみ」に「恋したんだ」。

「おいていかないで」・・・

 

でも、セイレーンは信じています。

やがて「きみ」は自傷して血まみれで「この部屋を赤く染める」、

あるいは入水して「きみとぼくの水死体が (一緒に) うかんでくる」と。

 

だからそれまでは、

「ここで暮らしていよう」と思うのでした。

 

**********

ところが「ぼく」は、冷淡なままです。

「きみ」のことなんか「全部忘れ」たいのです。

溺れていったときの「身体に染みついた潮の香り」も全て。

 

「ただ泡になって消え」去ってほしい。

それだけを望んでいるのでした。

 

ちなみにラストの画面右を見ると、

「きみ」はセイレーンではなく、「遺影」だったとあります。

そして幻惑に憑りつかれた「ぼく」は、

追いかけるようにけっきょく海に入水してしまうのでした。

 

**********

以上はあくまでひとつの読み方ですが、

わたし的には「ぼく」「ぼく」をそのままに、

「男の子同士」と捉えてみるのもありかなと思いました。

 

一方が恋をしているのに、もう一方があまりにそっけないのも、

直接的な性愛じゃなく「ぼくの脳みその味」に興味を持ってほしいのも、

 

そういう風に考えてみるとよけいに悲しい気がするんです。

 

それはさておき、詩の大切な要素として、

「イメージとイメージの意外な出会い」というのがあります。

 

だとしたらこの曲の場合は、

音楽的にも意外なサウンドがいっぱいなのと同じように、

シュールなセイレーンや、グロテスクな水死体が現われたり消えたりする、

「イメージ (歌詞) と音楽の意外な出会い」とも言えるのかもしれません。