~ 歌詞でよむ初音ミク 160 ~ 暖かい生き物
「暖かい生き物」であることの違和感
「VOCALOIDと歌ってみた」タグ。エモーショナルなエレクトロニカとも言えそうな作品。ミクさんとピコンさんの声が、パート分けというより二重にかさなって混濁した独特の雰囲気を作っています。曲・詞ともにピコンさん。
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それは「街の角にある」場所に「添えた花」。
「咲いた花」のまえで、
「冷たくなった君」のことを思い出していました。
思い出したところで夢まぼろしでしかないけれど、
「夢なのに寂しくなって」・・・。
やがて、「枯れた花」は「飽きて忘れられ」ていきます。
街の角に添えられたまま、ぽつんと。
終わりを知っていたからか、
君は「無理をして」「僕のこと嫌いになって」。
そんなふうに君は、
「さようならも上手くなく」不器用な人でした。
でも「悪口も聴けなくなって」しまったことが寂しいのです。
「夏がまた」やってきて、
だからまた夏が去っていきます。
薄明り (トワイライト) を残しながら、
あのときと同じ夏が、君のまぼろしと共に去ってしまう気がして、
何度も「行かないで」と心の中で呼びかけるのでした。
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確かめようはないのですが、これはただの別れというより、
いつかの夏に「君」が命を落とした、ということなのかもしれません。
でも、「冷たくなった君」が出てくるのに、
タイトルは『暖かい生き物』になっています。
しかもわざわざ「暖かい生き物」と呼んで、
なんだか生きてることが、おかしくてヘンな事のようです。
わたしはこの「暖かい生き物」って
語り手の「僕」のほうじゃないかな、と思いました。
自分よりも大切なものを失ったとき、
「なんでこんな自分だけ生きてるんだろう」というような、
自罰感情を抱くことがあります。
この曲でも、死を目の当たりにして、
自分が「暖かい生き物」であることに違和感があるのかもしれません。
死に囲まれたなかに「暖かい生き物」がぽつんとあったり、
死者の渦のなかに、いのちの溢れ還る「夏がまた」あったり。
お盆が近いから、というわけじゃないのですが (笑)、
そんなふうに生と死がひっくり返った感覚で、
ミクさん&ピコンさんの裏表になった二重声を聴いてみるのも、
この曲の一つの味わい方ではないでしょうか。