~ 歌詞でよむ初音ミク 186 ~ 月曜の海

きっとどこかには流れ着くはず

憂鬱な月曜の朝に起こったささやかなドラマを、アコギやハーモニカなどまったりした雰囲気のなかで描いています。曲・詞ともに青屋夏生さん。

 

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とある月曜の朝のこと、憂鬱に襲われた「私」は、

とっさに「いつもと逆側のホーム」の電車に乗り込んだのでした。

 

大した理由はありませんでした。

でも「なんだか嫌」だったのです。 

「疲れたな」と思ってしまったのです。

 

そうしたら「塞き止めてたなにか」が溢れ出してきて・・・。

 

 今日だけは、今だけは許してよ――

 

同じようなつまらない日々と

変わり映えのない自分から

「逃げるように」して、

 

「私」を乗せた電車は

いつもとは逆の、海の方へ走っていくのでした。

 

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こうした情景って、

電車ならではというか、

車やバイクだったら描けないと思うんです。

(というかニュアンスが変わってしまう)

 

たしかに車とかバイクだって、

さぼって目的地も決めずにふらっと出かけられます。

 

でも、車やバイクは自発的です。 

自分でルートを決めて自分で運転して・・・。

 

それに比べると、

毎朝の電車はもっと受け身というか、

習慣のような、身を任せる乗り物。

 

車とかバイクとかで「逃げる」といえば

「脱走」や「反抗」的な、たくましい「自由」を感じませんか?

 

でも毎日の電車から「逃げる」ほうは

「逃避」にちかい気がします。

 

で、それこそがこの曲のテーマだと思うのです。

 

目的地が変わっても、どこかには流れ着くということ。

そこにはそこで、窓に映る景色がちゃんとあって、

なんにも終わったりしない。

 

しくじったらしくじったで、そこから始まるものもあったりするよ。

それってとっても深い真実だと思うんです。