~ 歌詞でよむ初音ミク 169 ~ メルティランドナイトメア

出会うことが不幸な、悪夢の愛

このブログでも何回か取り上げている、はるまきごはんさん (『カルデネ』『アトモスフィア』) 。ダンサブルで、なにか良い意味でまた違った変化がはじまっています。

 

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語り手は、ナイトメア (悪夢) そのものらしき「僕」。

僕といっても僕っ子というか中性的です。

 

"悪夢" ですから、

「貴方」がイヤなことを味わったときにしか、会えません。

 

「お母さんに何か言われた」り、

「クラスの誰かが冷た」かったり。

 

何十年も、何千年もここで「貴方」を待ちつづけて、

出会うたび、少しのあいだだけ「溶けあってしまいそう」な

「とびきりのディナータイム」を過ごすのです。

 

過ごすといってもおしゃべりしたりご飯を食べるのではなく、

「ひとりもふたりも無いような」、ドロドロに溶けあう「メルティランド」、

誰も犯すことのできない「不可侵のスターリーナイト」です。

 

だけど、彼がいるのはあくまで "悪夢" なわけで、

「僕達のタイムオーバー」こそが、

つまり「朝6時」にアラーム(警報)がなってその悪夢から覚めることが、

「正常なグッドモーニング」こそが、君にとっては幸せなことなのです。

 

隕石で世界がぜんぶ終わってしまえば、あるいは時間が止まってしまえば・・・、

でも「僕」のほうが「片方だけワガママ言うの」は、君の幸せになりません。

 

それを分かっているから、今朝も別れを告げるのでした。

 

「愛したって君は目を覚ます」。

すると「僕」は「ゼロになってゼロになって」――。

 

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君は「いっつもそんな顔をする」。

どんな顔でしょう?

 

よくあるパターンは夢のなかでの淡い、幸せなつかの間の愛ですが、

 

おそらくこの曲は、"怯えた顔"、

苦しみと怖さで「驚いた顔」だと思います。

「僕」は悪夢(ナイトメア)なのですから。

 

そう、きっと二人は出会うことが不幸なのです。

 

まさにそこが、はるまきごはんさん特有の表現感覚ではないでしょうか。

 

ほろ苦い幸せな愛の記憶ではなくて、 もっと残酷な、

望まれず、気付かれもしないような、見捨てられた苦しい愛です。

 

カルデネもアトモスフィアもそうでしたが、

でもだからこそ、愛の爆発的な叫びがあって、

独特な調声の軋み歪んだミクさんの声が胸を打つのではないでしょうか。

 

で、可愛くてかっこいい曲調のほかに、

この曲の歌詞は、いつもよりぐっとフィクション的になっています。

比喩ではなくて、ほんとうにナイトメアの歌です。

 

もともと想像力豊かなイメージを描けるはるまきごはんさんですから、

自由なフィクションはきっと今後の歌詞づくりにもプラスに働く気がします。

わたしはとても好きです。