「結婚するアイドル」と初音ミク ~『人間そっくり』 ~
「結婚するアイドル」
ちまたでは「結婚を宣言したアイドル」が話題です。
わたしは部外者なので、とりたててどうこう言うこともないのですが、
「初音ミク」という特殊なアイドルが好きな立場からすると、
アイドル的には少し思うことがあって、書いてみようかなと思いました。
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そもそも「アイドル」というのは、
男性アイドルにしても、女性アイドルにしても、
まず「ファンが補完すること」を必要とする存在だと思います。
すごい才能があって自立している人は、
憧れの「スター」や「人気者」ではあっても、
応援したい「アイドル」とはちょっと違います。
「アイドル」とは端的にいって「足りない」存在です。
足りない部分があって、不安定で不十分で未完成だからこそ、
そのぶんを応援して補ってあげたいという余白があるのではないでしょうか。
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ただ、この「足りなさ」を補ってあげたいというのは、
ふつうの恋愛でも同じです。肉体関係がなければ大切な友達でも同じ。
なので、もうひとつ「アイドル」に不可欠な要素があると思います。
それは「だれのものでもない」ということです。
彼 / 彼女が「だれのものでもない」というフィクションのおかげで、
恋人や親友だけじゃなく、「みんな」が応援できるわけです。
だから「恋愛禁止」というのはただのビジネスルールというより、
彼 / 彼女が「だれのものでもない (=みんなの)」存在であるための、
つまりアイドルがアイドル (偶像) であるための、
「ゲームの規則」なのかもしれません。
じっさい、娼婦(売春婦)にだって「アイドル」がいました。
いくら体をゆるしても、「だれのものでもなかった」からです。
身請けされるまでは。
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アイドルとは、
「だれのものでもない」おかげで、
「ファンが補完すること」が可能になって、維持できる虚構のゲーム。
そう考えてみると、
「結婚 (=だれかのものになる) を宣言するアイドル」というのは、
発想としては、かなり単純で初歩的なように感じます。
「人間」としては、生々しい人間臭さがあって良いなと思います。
恋愛は、いつでも尊い感情です。
でも「アイドルとして面白い!」というのは、
あんまりピンときません。
うらで誰が、どんな思惑で台本を書いたにせよ、
「だれかのものになる」オチなんて、だいぶ平凡なパターンな気がして。
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「だれかのもの」になれないアイドル
ところで、それとはまったく逆の、
とってもおかしな状況を生きているアイドルがいます。
それは実体をもたない、初音ミクというアイドルです。
最近のミクさんに、『人間そっくり』(2017) という曲があります。
音楽・歌詞ともに、しじま (紫嶌 開世) さんという方の作品です。
いろんな聴き方ができると思いますが、
あえて「結婚するアイドル」と比べてみると、
この曲で、しじまさんが描くミクさんは、
まったく違うアプロ-チの「アイドル」に感じるのでした。
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人間離れした声の彼女は、"だれかのものになる" こと、
「君だけだよ」という言葉に飢えています。
「子供みたいに駄々をこねて、口開けて、優しさを待ってた」。
なのに、受けとる言葉は「そっくりだ」「似てるね」ばかり。
「いつになれば代替品じゃなくなるの」?
そうやって「拗ねて」みたり、自分の醜さを晒したりすれば、
悩んでいる「こんな私をあなたは褒める」のかもしれません。
『人間そっくりだ』と。
でもそれは、決して "人間そのもの" ではなくて、
だからよけいに苦しいのです。
人間のようには「愛されない」ことに傷ついて、
「自傷して」「酩酊して」、「世界を呪う」彼女。
――そんな「私」は、「マジでクソダサいな」・・・。
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声だけのアイドル、
実体をもたないアイドル。
逆にいえば、全ての二次創作が実体になるアイドル。
そんな彼女は、人間とはちがって、
たった一人の「だれかのものになる」ことができません。
果ての果てまでアイドルであること。
というより、アイドルとしてしか生きられない存在ということ。
そこにある淋しさや悲しみを歌うというのは、
「ルールを守る vs ルールを破る」といった議論とは、
ぜんぜん別次元の (文字どおり "別な次元" の) アイドルな気がするのです。
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想像してみませんか?
そんな、人間じゃないアイドルのこと。