~ 歌詞でよむ初音ミク 156 ~ えんでんじゃーどすぴーしーず
歌詞のそとにある予感
「MikuPOP」タグ。軽快なシンセに、スラップが効いたかっこいい作品。流れるような歌詞は、ミクさんを思わせなくもない「君」との創作の生々しい苦悩に貫かれていて切ないです。曲・詞ともに、C.C さん。
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圧倒的に「凡人の僕」、
手元にあるのは「腐ったメロディー」だけ。
すでに「飽和した世界」を前にして、
「理想像」を噛みしめ、「理想郷」の甘い蜜を吸いながら、
「僕」は「ブルーライト眼球」のまま、
「画面越しに跪いてた」のでした。
子供の頃は知りもしなかった「劣等感」が、
膿みだして掻き毟った「手榴弾」のように今にも爆発しそうで。
それでも「僕は君と 夢を見る」のです。
「絶滅危惧種(endangered species)」だとしても。
だけど「この世のどこにも」、
「蜘蛛の糸」は、「救いの手」は、
「ないよ」。
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この、音楽が静まってひびく「ないよ」。
直前までは「ないないないない・・・」と、
たたみかけるように「救いの手」を否定しています。
そこには駆り立てるような焦燥が。
ところが一転して、
音楽が止んだ「ないよ」には、
淋しさというか、ニヒリズム的な虚しさを感じる気がします。
同じ「ない」という言葉が、
音楽しだいで、こんなに表情を変えるということ。
詩ではない、"歌詞" のおもしろさですよね。
で、わたしは、というと
この淋しげな「ないよ」に、
なんだか "予感" めいたものを感じるのでした。
「救いの手」とは、自分じゃ予想できないから、
自分の外からやってくるから、「救い」なわけで、
「救いの手はない」と言えば言うほど、
得体のしれない爆発的な何かが、
この二人に近づいているような、そんな予感。
歌ってないことだから確かめようもないのですが、
そうやって "予感" させるような歌詞って、すごく面白いなと思うんです。